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来年3月の北京冬季パラリンピックに向けて注目選手を紹介している本連載。最終回は、大けがをきっかけにパラアスリートに転身した元トッププロスノーボーダーが登場。「第二のアスリート人生」にかける思いとは。
PARA SNOWBOARDING
【 パラスノーボード 】
岡本圭司 / KEIJI OKAMOTO
1982年2月20日生まれ、兵庫県出身。高校卒業後にスノーボードを始め、2007年には世界中からトップライダーたちが集った当時の国内屈指の大会「日産X-TRAIL JAM IN 東京ドーム」で5位に入賞するなど、日本のスロープスタイル、ビッグエアの第一人者として人気を博す。15年、スノーボード映像の撮影中の事故で脊髄損傷の大けがをして右ひざ下にマヒが残る。そして18年にパラスノーボードで競技生活を再開。来年3月の北京冬季パラリンピックにスノーボードクロスでの出場が内定している。
「北京は人生のボーナスステージ。
だから100%出し切りたい」
「プロ時代に縁がなかった五輪。それが大けがしたことでこうしてパラリンピックに出る機会が巡ってくるなんて面白いものですよね」
日本屈指のプロスノーボーダーだった岡本圭司がパラの世界に入ったのは約3年前。2015年に映像作品の撮影中に脊髄を損傷し、将来歩くことさえ難しいと言われた状況からの奇跡の復活だった。
「けがした年は本当に調子がよくて、表現したいのはこれだという手応えがありましたが、一瞬ですべてを失って絶望しました。でも入院中、14歳年下の後輩が『雪上に戻った1回目の滑りはきっと今までのどれよりもカッコイイと思う』と言ってくれたり、今まで面倒を見てきた子たちから逆に力をもらい、必ずもう一度滑ってやろうって」
1年以上の入院と過酷なリハビリを経て人生観も大きく変わった。
「自分の弱さを知ることができましたし、何より本当の意味で誰かに感謝する気持ちや家族が自分の宝物だということに気づかされました。退院して、久しぶりに雪上に立ったときは思わず声が出ましたね」
右脚のひざ下にマヒが残り、以前と同じように滑ることはできない。しかし新たな気づきが彼に人生のセカンドチャンスをもたらした。
「前の10分の1くらいしか滑れなくて、むなしさを感じる日々が2年続いた後、あるとき軽い気持ちで出てみたパラの大会であっさり負けまして。障がいのあるライダーたちのすごさを感じると同時に、悔しい気持ちも蘇(よみがえ)ってきて『あいつらに勝てるようにやってみよう』と思えたんです」
勝負の場は技や高さを競うかつてのフリースタイルからレース形式でタイムを争うスノーボードクロスに変わったが、来年3月の北京パラリンピックではきっとスノーボーダー岡本圭司の真骨頂が見られるはず。
「今は純粋にクロスを楽しめています。北京は一度ドロップアウトしている自分にとってボーナスステージみたいなもの。どういう結果になろうと、自分が100%やり切ったと思えるような滑りがしたいですね」
Photos:Tonko Takahashi Composition & Text:Kai Tokuhara
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