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以前『ギルバート・グレイプ』を観たときに、関連のおススメ作として出て来た本作。どんな映画か知らずに、“親子の物語か”と何気なく観たら、もう号泣でした! ホント、すごくいい映画でした。
『『いつかの君にもわかること』
現在配信中
発売元:キノフィルムズ/木下グループ
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窓の清掃員の男性が、ある事情で幼い息子を養子に出す先を探している……という程度の前情報で観たんです。だから色んな窓が映る冒頭カットで、お洒落な映画だなと思いました。そうしたらだんだんと、彼ら親子が抱えている事情が分かって来て――。説明的ではないけれど、“画”と演じる俳優さんたちのお芝居によって分かって来るのがいいんです。説明的な表現じゃないからこそ、少しずつ理解しながら色んなことを考えさせられました。生きること、死ぬこと、そして家族のこと……。
マイケルがどこまでも可愛い!
ドキュメンタリーかと思うほど
自然な演技
若いお父さんのジョンと幼い息子のマイケルが2人で暮らしているのですが、とにかくマイケルの可愛さが尋常じゃない。幼いのに上手いというより、これってドキュメンタリーなのかなって思うくらい自然。まるでお芝居じゃないみたいなんです。全く力んでなくて、普通にボーっとしていたりするし、そんな状態で(セリフを)言ったりしていて。よくぞ、こんな子供を見つけたなって驚きました。
窓の清掃員という決して裕福じゃない父子家庭についても、色々と考えさせられました。例えば、ジョンが清掃に行った赤いポルシェの家はひどいお客で、もう本当に嫌になってしまって。いつもジョンが真面目に働いている姿を見て来たはずだし、決してサボっているわけじゃないと分かるハズなのに、“おい、サボるな!”みたいな言い方をして、ちょっと待てよ、と。必死で頑張っている人に対して、なんて失礼なんだ、って。また窓の清掃員だからこそ、いろんな裕福な家を覗けてしまうのが上手いというか、その対比の見せ方や切り取り方が本当に上手いなと思いました。
“ママがいるのが当たり前”
という向かい風の中を生きる
二人の幸せとは?
“父子家庭”の描き方もうまいんです。保育園では、やっぱり<お母さんと子供>という組み合わせが意識下で当たり前になっていたり、スーパーで食材を買っていても「あら、お母さんが作ってくれるの?」と聞かれたり。マイケルが「お父さんが作る」と答えたら「ラッキーボーイね」と返されたけれど、お父さんが作るのはラッキーなのかと逆に思ったり……。今の時代でも、変わらずにそうなのかなって複雑な心境になりました。もしも自分がシングルファーザーとして子供と向き合うことがあったら、やっぱりそうなるのかなぁ、と考えたりもしました。
後半はジョンの具合の悪さが目立ってきて、病気のこと、死に近づいてること、だからマイケルのために新しい家族を探しているのか、とだんだんわかって来ます。同時にジョンの葛藤が見えて、もう苦しくて……。しかも見れば見るほどマイケルが可愛くて、抱きしめたくなるんです。「もう大丈夫、僕が親になるから」って言いたくなってしまいました。
父子それぞれの気持ちの変化を、
こまやかに描き出す
映像作りのすごさ
静かな物語ですが、ひとつひとつのエピソードが本当に特別だなって思わせてくれるんです。セリフも少ないし、劇的なセリフがあるわけじゃないけれど、すごい心に染みてくるセリフもあって。当たり前にある日常の、“本当は特別だったんだな”という言葉や行為があったり、生きてることが特別なんだなって感じられて。その切り取り方で、特別に見えるのがスゴくいいなと思いました。ストーリーに加えて、映像の作り方でそれを感じさせるのが映画の力だなって。
父と息子の物語に加えて、もう一つの見どころが、2人が受け入れ先候補の家庭を回っていく、色んな人間模様や家族模様。それもすごく面白かったです。既に何人か養子を迎えている大家族がいたり、とても裕福で子供を望んでいる夫婦とか、離婚したシングルの女性とか。僕はマイケルがどの家庭に行くのかを考えながら観ていたので、「この家庭は嫌だな」とか、採点するみたいに見ていました。
「この家庭は絶対に嫌」と思う裕福な家庭もありました。色んな家庭を回るけれど、結局すべてが望み通りの家庭は一つもなかった、という。それが現実なんだなと突きつけられるというか……。
僕がジョンを偉いなと思ったのは、どんな失礼なことを言われても怒らないんですよ。例えば候補の家庭で「やっぱり親は2人必要でしょ」とか「2人揃っていないと」とか言われても、「僕もそう思う」と返したり。「(マイケルを置いて出て行った)お母さんがいなくなるなんて、あり得ない」と言われても、決して怒らないんです。
それって、もしかしたらマイケルがその家庭へ行くかもしれないという、少しの可能性を考えているからなのかな、本当に優しいなって思って。そんな時もマイケルと目が合うと、ジョンは笑顔になるんですよ。あぁ、そんなにも愛おしいんだなって。自分が父親になるなんてまだ想像もつかないですが、こういうお父さんになりたいなって思いました。奥さんが出て行って自分1人で育てていることに、マイケルに対して(ママが)足りない状態にしちゃったという気持ちがあるのに、今度は自分までいなくなったら……という焦りが強烈に感じられて、もう本当に切なかったし、いたたまれなかったです。
結末は悲しくても、
確かに存在する優しさや幸せが
あふれて来る
どの家庭にマイケルが行くのか、あるいは行かないのかは明かせませんが、どこか子どもを人生のピースとして考えてる人が多いような気がしました。そんな中、純粋にマイケル自身に向き合って、真っ直ぐに愛したいという人もいましたが、その先は見てのお楽しみです。ただ、みんな“親は2人揃わないと”と形から入っていましたが、ジョンが一人であれだけの愛情をマイケルに注いできたことは、メッセージというと大袈裟だけど、シングルで子育てしている人たちへの肯定と励ましも感じられて、それもよかったです。
日々の描写――マイケルをお風呂に入れたり、ご飯を作ったりという日常の細々としたことが、すごい慣れてる感がして、2人でずっと暮らして来た説得力がありました。そんな中、一度だけマイケルに怒ったシーンがあるんですよね。夜、マイケルが好きな柄のパジャマじゃなきゃヤダヤダと駄々をこねた時、「ごめんなさいを言う準備ができるまで出てくるな」と怒るんです。そんなシーンがあるからこそ、ちゃんと子育てしてる印象も強まるし、そういう怒り方もあるんだなって思いました。
「ダメだ、これを着なさい!」と押し付けるのではなく、子供に理解させるスペースを与えて、謝る準備ができるまで1人にする。その後、何かがドアに飛んでくるんですが(笑)、それもまた可愛かったです。きっとマイケルは謝る準備ができたけど、「パパ」って呼ぶのもちょっと出来なくて、謝りたいんだけど……っていう現れなのかなと。それがまた可愛くて。
淡々とした映画だけど、いろんな映像が脳裏に残っています。1シーン、1シーンにちゃんと意味があるんですよ。無駄なシーンが一つもないというか。窓越し、ガラス越し、鏡越しにジョンが見てるものが、結構「おお~」となる。例えば車で信号待ちをしている時、窓の外にマイケルより少し大きな男の子が映ったり、その姿を走り出したバックミラーで見ていたり。
信号で停まって横を向いたら、ちょうど墓地の門が開いていて道が見える。そういうシーンもジョンの心中を感じさせる。すべてのシーンが設計されているな、と。死を示唆するもの、死を匂わせるものが、何気なく映るんですよね。しかも、墓場までの道を見た後、スッと車を発進させたときにジョンが少し笑った気がしたんです。自嘲なのか、死の前兆を感じたのか……。セリフではなく映像で感じさせるような、すごくこだわりを感じた映画でした。
去り行く父・ジョンも、
自分を支え、満たしてくれて
いたものに気づいていく
もう一つよかったのが、時々マイケルの面倒を見てくれる近所のお婆ちゃんの存在。「こんな年でなければ、私が育てるのに」と言ってくれる親切なお婆ちゃん。前半でお婆ちゃんが語る言葉は、終盤の「マイケルのお父さんが死んでも空気の中にいるんだよ」などのセリフに繋がってます。数少ないセリフも、すべてがちゃんと繋がっている。ずっと寄り添ってくれていたお婆ちゃんがよくて、そこにもジンワリきました。
ジョンが1人で頑張っていたように見えるけれど、でも本当は1人じゃないというか。ちゃんと支えてくれた人がいたんですよね。最初の頃はジョンもお婆ちゃんに言われたことにピンと来ていないけど、最後にはそれを理解する。ジョン自身も劇中でどんどん変化したり、気づいて成長したりしていくんです。作品としてはすべてがとても繊細に計算されている。
一方で、マイケルも、変化や成長があって前半と後半の違いがすごく印象に残っています。その成長を表すエピソードがまたさりげなくて可愛いんです。ラストシーンは、なんとマイケルの表情のアップ。大好きなお父さんに対する色んな感情、伝えたいことなど、その表情から色んなことが読み取れて、本当に泣けました。原題『No Where Special』の“特別な場所はない”とか、“どこも特別ではない”というか、色んなことに当てはまる、言い得ているタイトルだなと思いました。
さりげない言葉、演技、映像。
そこに込められたものの
大きさに満たされます!
マイケルの愛らしさに目を奪われてしまうけれど、改めてジョンを演じた俳優さんが素晴らしかったです。無理に何かをしない、無理に表現しないというか。それでいて優しさと強さを持ち合わせた“いいパパ”像を、これでもかってくらいに上手く感じさせてくれて、本当にスゴイなって思いました。セリフも少なく、少しずつ病に侵されていく感じ、体の動かし方など、すべてを表情や身体で見せていく。メイクなどの助けもあったでしょうが、どんどんやつれていく感じがリアルでした。いつか僕も、こういう静かな作品で、お父さん役をやってみたくなりました。
本作は、「すごく面白いから今すぐ観て!」という感じの映画ではなくて、「見たいリスト」に入れておくくらいが丁度いい気がします。「なんかいい映画みたいな」と思った時に、静かに観て欲しい映画というか。“感動”とか“泣ける”とか、押し付けるようなことを言いたくなくて。でも本当にいい映画で、本作を知っているのと知らないのとでは、だいぶ変わるような気がします。人肌が恋しい季節になってきたので、<本当に大切な人は誰ですか>と問いかけるような本作を観たら、離れて暮らしている人はきっと家族と会いたくなると思いますよ。
マイケルの可愛さは何度も言っていますが、特に最初のカットが最高です。お父さんが帰って来るのをドアの前で待っている姿が、“ワンコじゃん!”と言いたくなるくらいに可愛くて。バっとドアが開いた瞬間、“お父さんだ~!!”ってすごく嬉しそうに抱き着くんです。お父さんに抱きしめられて、うわぁ、幸せだなって思って。特に僕は前情報なしで観ていたので、そのシーンを、純粋に「すごい幸せ~」ってなって。あの飼い主の帰りが待ち遠しくてたまらない、ワンコみたいな風情がたまらなく可愛かったです!
『いつかの君にもわかること』
(2020年製作/95分/イタリア・ルーマニア・イギリス合作)
33歳のジョン(ジェームズ・ノートン)は窓拭き清掃員として働きながら、4歳の息子マイケル(ダニエル・ラモント)を男手ひとつで育てている。不治の病で余命宣告を受けた彼は、養子縁組の手続きをして、自分の亡き後にマイケルが一緒に暮らす“新しい親”を探し始める。理想の家族を求めて何組もの候補と面会するが、どうにもしっくりこない。息子にとって最良の選択をしようとジョンは焦り始め――。『おみおくりの作法』のウベルト・パゾリーニの監督・脚本作。
最近は、色々と考える時間もあり、本を読んだり、映画を見たり、サウナに行ったりしています。海外行きたいなぁとか考えながら、自分が撮った写真を見返したり。
次の作品に向けて、また時間をかけながら向き合っていきます!
メリークリスマス、そして良いお年を〜。
Text:Chizuko Orita
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