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角野隼斗「ピアニストだけでなく広い視点で、クラシック音楽の新しい可能性を切り拓きたい」【メンズノンノウェブ限定インタビュー】

角野隼斗「ピアニストだけでなく広い視点で、クラシック音楽の新しい可能性を切り拓きたい」【メンズノンノウェブ限定インタビュー】

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東京大学大学院卒という異色の経歴を持つ世界的なピアニスト、角野隼斗をご存じだろうか?

YouTuber「Cateen(かてぃん)」としても140万人のチャンネル登録者数を誇る。クラシックにとどまらず、ジャズやポップスにも精通し、独自のスタイルを追求するひたむきな音楽家でもある。

2024年10月30日、ソニークラシカルから世界デビュー・アルバム「Human Universe」が発売された。オーケスラとの共演で日本各地を飛び回る中、音楽との出会いからアルバム完成にいたるまでのストーリーをロングインタビュー。

    

1_角野隼斗さんの幼少期から東大まで

自然とピアノを弾き始め、子どもの頃から
即興やアレンジをするのが楽しかった

角野隼斗さん メンズノンノインタビュー1

――世界デビュー・アルバムの発売、おめでとうございます。角野さんは幼少の頃にピアノを始めたとのことですが…。

母がピアノの先生でしたので家にグランドピアノがあって、もういつから始めたか覚えていないほど小さい頃に、自然とピアノを弾き始めました。ほかの人と同じように「ツェルニー」とか「バイエル」(どちらもピアノ初心者の教本)を弾いていた記憶があって、4歳からは毎年夏に開催されるピティナ(正式名はピティナ・ピアノコンペティション)というコンクールに出ていました。


角野隼斗さん 幼少期の写真
↑実家のグランドピアノで練習をする幼少期の角野さん。台には譜面が。

――4歳からコンクール! 早いですね。

最初は親に連れられるがままという感じでしたが、子どもながらに音響が素晴らしいホールで、いいグランドピアノが弾けるということがうれしかったですね。コンクールのラウンドを上がれば上がるほど、いいホールで弾けるようになるので、それがモチベーションになっているところはありました。

――そういうことを思い始めたのは、小学生くらいですか?

そうでしょうね。今はもうありませんが、千葉市にぱ・る・るホールというクラシック音楽用に設計されたコンサートホールがあって、そこは好きでした。小学校1年生のときにそこで開催された、ちば音楽コンクールに初めて出て、最優秀賞をもらいました。その後もぱ・る・るでは何度も演奏したので、思い出深いですね。

――受賞するとピアノへのモチベーションも上がるんでしょうね。

子どもの頃は賞をもらうということはどういうことか、あまりわかってなかったようなところがあります(笑)。コンクールの中でもピティナは、飛び級ができるんですね。例えば小学1年生で小学5・6年生の部門に参加することが可能なんです。1・2年、3・4年、5・6年と部門が分かれているんですが、小学1年のとき3・4年生、2年のとき5・6年生、3年のとき中学生と飛び級して、4年生のときに高校生の部門で金賞を取って、子ども時代のコンクールは一段落しました。

角野隼斗さん 小学生のころの写真
↑小学生の頃のコンクールでの写真。子どもの頃の動画を見るとその神童ぶりがわかる。

――神童だったんですね…。

自分はピアノが得意なんだという自覚はあったと思います。ピアノを弾くのは楽しかったし、家ではクラシックに限らず、即興やアレンジをするのも楽しんでいました。

――小学生のときからですか?

小1ぐらいの頃からそうでしたね。即興やアレンジは本当に好きで、じゃあ練習が好きだったかというと、そうでもないんだけど(笑)。音楽は好きだったしピアノを弾くことも好きだったから、練習がつらいと感じてもやめたいと思ったことはなかったですね。

――大学ではバンドもやられていたそうですね。

バンドは中学からやっていました。

――そうなんですか! 音楽はクラシックに限らずいろいろと聴いていた?

中学に入ってからはそうですね。小学生の頃はクラシックとテレビから流れてくるJ-popぐらいだったと思うんですが、中学に入ってからロックとかジャズとか、あと音楽ゲーム…いわゆる音ゲーにハマっておりまして。その影響で電子音楽やサブカル系のアニソン、ヴォーカロイド、そういうものをひと通り聴きました。


角野隼斗さん メンズノンノインタビュー2

――確か音楽ゲームでも全国大会に出ていましたよね。

はい。音ゲーはピアノが弾けると指が思うように動くから、大分有利なんですね。それも得意で、「jubeat(ユビート)」の全国大会があったので、高校の頃は毎年出ていました。高3の大会は受験直前の12月だったんですが、どうしても出たくて(笑)。結局ベスト8で、思うような結果は出せずでしたが…。

――優勝狙いだったんですか? 

したかったですよ。高2のときも優勝を狙って、できなかったので。

――進学は芸大か東大か? 悩んだというお話も耳にしています。

開成(角野さんは中学・高校とも開成)というところに行ったら、みんな当たり前のように東大を目指すので、その中で自然と東大を選んだといえばそうなんですが…。当時の僕はピアノよりも数学のほうがが向いているかな? とも思っていたんですね。

――将来的なことを考えての結果でもありますか?

将来のことはそんなに真面目に考えていなかったと思います。その頃はクラシック音楽よりもジャズとかロックなど、ほかの音楽に傾倒していたということもあるし、東大に行っても音楽はできると思ったので、じゃあとりあえず東大に入るかと。

    

2_ 東大から、ピアニストになるまで

演奏家と研究者、2つの視点を自分の
強みとしてピアニストへの道を選んだ

角野隼斗さん メンズノンノインタビュー3

――東大では理系の工学部を卒業されて、大学院のときにコンクールで優勝したのがきっかけでピアニストを目指したとのことですが、ピアニストになろうと思ったのはいつ頃ですか? 

大学院の1年生は就活するか博士に進むか考えて、インターンをしたり研究をしたりと、将来のことを考え始める時期なんですね。音楽は大学院に入っても続けていたんですが、だんだん研究で忙しくなってきて。心の中で、ピアノと距離ができてしまうのがすごく怖かったんです。


角野隼斗さん 東京大学卒業のころの写真
↑東大卒業時。工学系研究科の修了生が着用する修士用ガウンを着用して安田講堂の前で記念撮影。

――そのときにYouTubeを始めたとか?

いえ、時系列でいうとYouTubeはその前の、音ゲーの頃からやっていました。それで2018年、大学院1年のときにコンクールを受けたんですよ、ピティナ・ピアノコンペティションの特級という最上位のところを。そこで優勝したのが、僕が音楽に進むひとつの転換点です。

――ひとつの、というのはそこでピアニストになろうと決めたわけではないと。

優勝した頃は、研究者と演奏家、どちらの視点も持っているというのが自分の強みかなと。2019年ぐらいまではそう思っていたんですが、だんだん音楽が自分の生活のほとんどを占めるようになってきて。もっと音楽に集中したいと思ったし、研究も片手間にできるようなことではもちろんないので、結局、卒業する頃には音楽の道に進むことに決めました。2020年3月のことですね。

角野隼斗さん 大学院生のころの写真
↑大学院時代。フランス国立音響音楽研究所に交換留学生として4カ月半の留学を体験。AIを使った自動採譜の研究を深めた。

――ところがコロナ禍になってしまったということですね…。大学院在学中から、すでにピアニストとして活動していましたよね?

していました。ピティナの特級で優勝すると、小さいながらも演奏の機会をもらえるんですね。YouTubeもやってましたから、そちらからの広がりもありました。当時はさほど大きくはなかったので、コロナになったのがもうひとつの転換点ですね。コンサートができなくなって、家にみんなこもらなければならなくなったときに、ひたすらYouTubeにフォーカスして。かなりの頻度で動画を上げていたら、すごくたくさんの人に見てもらえるようになった。


――それでマスメディアやテレビなどでの露出が増えてきたと。

ええ。2021年ぐらいからですかね。

    

3_本格的に世界へ

ショパンコンクールとその後の
傷心旅行が世界デビューへのきっかけに

角野隼斗さん メンズノンノインタビュー4

――その後の転換点は?

2021年の秋のショパンコンクール(正式名称はショパン国際ピアノコンクール)でしょうね。

――ショパンコンクールにはいつ頃出ようと決めたんですか?

開催1年前の2019年の秋に応募しなればならないので、そのときです。本当は2020年に行われるはずだったですが、コロナ禍で1年延期されたんです。

――2019年ということは、YouTubeでブレイクする前にはすでにエントリーしていたんですね。

そうですね。2021年にはYouTubeの登録者数も大きくなっていたので、海外の方も知ってくださった中でショパンコンクールに出るというのは、自分では予期していなかったことで…。エントリーしたときにはなかったプレッシャーを感じていました。

――プレッシャーがあった中でも、セミファイナリストとなりました。審査は何段階くらいあるんでしょう。

6段階ですね。最初ビデオ審査があって、予備審査に160人が残る。そこから半数ずつに絞られていくんですが、予備予選、ファースト、セカンドときて、サードがセミファイナル。僕はセミファイナルまででした。最後まで行けばオーケストラと共演できるんですが…。


角野隼斗さん 2021年秋のショパン国際ピアノコンクールにて
↑2021年秋のショパン国際ピアノコンクールにて。同世代ピアニストの反田恭平が第2位に入賞した快挙があり、日本でもかなりの注目を集めた。  ©Wojciech Grzedzinski Darek Golik (NIFC)

――ご自身ではファイナルまで行くと思っていました?

もちろん目指していましたし、オーケストラと演奏したかった。だから当時は、そこに残るのも苦痛だったので、終わってすぐワルシャワからパリに向かいました。僕の先生がパリにいたので会いに行ってお礼をして、その後ヨーロッパを2週間くらい放浪しました。

――傷心旅行ですね。やはり、がっくりくるものですか。

そうですね。自信があるわけではなかったし、どこまで行けるか全然わからず、毎ラウンド、落ちたなと思い続けて、サードラウンドまで行きました。実はセカンドのとき、自分の中ではすごく大きなミスをしてしまって、「もう終わった」と思っていたんです。そしたら通っていたので、逆にサードラウンド(セミファイナル)では心が無になって、それまで感じていたプレッシャーを無効化して弾けたんです。

――プレッシャーを克服したんですね。

一回死んで蘇生したような気持ちでした。そういう経緯があったので、自分的には行けるなという感触があって、サードラウンドが終わった後は、すぐにファイナルラウンドの準備を始めていました。

――それは残念でしたね。ただショパンコンクールがきっかけで、ソニークラシックのグローバル契約につながったんですよね?

正確にはその後のヨーロッパ傷心旅行がきっかけです。当時、せっかくヨーロッパにいるのだから会いたい人に会おうと、バルセロナやロンドン、パリで、ピアニストのフランチェスコ・トリスターノ、ハニャ・ラニ、ジャズ・ミュージシャンのキーヨン・ハロルドなどに会いに行ったんですね。彼らと会った動画をインスタグラムに上げていたら、ショパンコンクールで僕を見て、なおかつインスタを見たプロデューサーからメッセージがきたんです。

――そのオファーをもらったときにはどういう気持ちでしたか?

最初は「ソニークラシカルのアレックスです。もし興味があったらいろいろ話しませんか?」というような簡略なDMでした。今はコンクールで優勝してもレコード会社と契約できるとは限らないくらい難しいので、最初はスパムかなと思って名前を調べたんです。そしたら実在する人で、どうやら本当なのかなと。そこから会話が始まりました。

――ヨーロッパにいる間に、ソニークラシカルのあるベルリンへ?

いえ。ファーストコンタクトが2021年の10月のことで、2022年には1月から日本のコンサートツアーが決まっていて、その後アジアでのコンサートもあったので、初めて会ったのは8月でした。そのときは具体的なアイデアには至らずで、2023年の4月に僕はNYに引っ越すんですが、ソニーNYのオフィスにも行って「自分はこういうことやりたいんです」と伝えて。いくつかデモも送ったりしていましたが、2023年の中ごろまでは本当に契約できるか、半信半疑の状態でした。

――正式な発表は2024年の3月でしたよね。契約までも長い道のりだったんですね。

音楽家としてグローバルなレーベルと契約することはとても重要なことで、自分の名前を世界に知ってもらうためには必要なステップなので、自分からいろいろ働きかけて、2023年の後半になってようやく動き始めました。

    

4_ アルバム制作と武道館公演

パーソナルな部分をさらけ出すことで
アルバムのコンセプトが決まった

角野隼斗さん メンズノンノインタビュー5

――アルバムの制作にはどのくらいかかったんですか? 

デモのやり取りをし始めたのは2023年の3月ぐらいでしたが、アルバム・タイトルになった「HUMAN UNIVERSE」や「3つのノクターン」というオリジナル曲はその前にできていました。7月くらいになんとなく構想が決まって、その後に何曲かつくって、クラシックの曲も何を入れるか決めて、2024年の1月と4月にロンドンでレコーディングをして。5月はミックス作業をしてという流れでした。

――アルバムをつくるにあたって苦労したことは何でしょう。

コンセプトを決めるまでが非常に時間がかかりました。というのも2021年10月のファーストコンタクトからやり取りが始まって、方向性が決まったのは2023年の7月なので。


――アルバムの場合、最初にコンセプトをつくらなければいけないんですか?

いろんな方法があります。ただ弾きたい曲を入れるだけでもアルバムはつくれますが、僕の場合はクラシックもやればガーシュウィンのようなジャズの要素が入った楽曲を演奏することもあるので、アルバムにしたときにすごく散らばってしまう。ただそれが自分の色で、強みでもあるので、両立させて世界観をまとめるためのコンセプトを見つけるまでが大変でした。

――アルバムのセルフ・ライナーノーツには、古代ギリシャ人が考えた「天球の音楽」が自身の音楽美学に近いから、アルバムのコンセプトにしたと書かれていました。

決まるまでは紆余曲折ありましたが結局……音楽を演奏するうえでよく考える美意識にフォーカスしました。自分のパーソナルな部分をそのままさらけ出すようなものをつくろうという方向性でコンセプトが固まっていった。そのヒントとなったのが「天球の音楽」という概念でした。そこから宇宙とか……もう少し広くとらえて夜空とか。そういったものを大きなコンセプトにしてアルバムをつくろうということになったんですね。

角野隼斗さん アルバム「HUMAN UNIVERSE」初回限定版ジャケット
↑「HUMAN UNIVERSE」には北斗七星ヴァージョン(初回生産限定盤)と 北極星ヴァージョン(通常盤) があって、それぞれボーナストラックが異なる。この写真は北斗七星ヴァージョンのジャケット。

――「HUMAN UNIVERSE」という曲があったから、このコンセプトになったという簡単な話ではなかったんですね。

そうなんです。「HUMAN UNIVERSE」というタイトルは二元的で、大きな宇宙の中の人間という意味もあれば、その逆のひとりの人間の中の小宇宙という意味合いもあって、一番大きなものと一番小さいものを同時に表現しているんです。

――なるほど。コンセプトが決まってからはトントン拍子で?

そういうわけでもないですね(笑)。本来レコーディングは1月の1回だけの予定でしたが、何曲かは満足がいかなかったんですね。日本からロンドンに飛んですぐのレコーディングだったので、時差ボケもつらかったし、最初の2日間は本調子ではありませんでした。それで再度録音したいとお願いをして、4月にも2日間レコーディングをしました。その3カ月の間に……こう、いくつかの曲は自分なりのブラッシュアップもして。特によくなったのが最後の「ボレロ」という曲です。


角野隼斗さん メンズノンノインタビュー6

――どんなところがブラッシュアップされたんですか?

「ボレロ」はそもそもフルオーケストラの曲をグランドピアノとアップライトピアノを使って再現しようとすること自体が大それた挑戦なんですが、あの一定のリズムをキープしながら、いろんなニュアンスの変化や原曲のレイドアップしていく迫力を、全部同時にしなければいけない。演奏そのものも、とても難しいんです。

――わかります。あるオーケストラの方は「一番演奏するのがイヤな曲」に挙げていました。

スネアの人とか絶対イヤでしょうね(笑)。2023年の1月から4月の間に日本ツアーで、23回ボレロを弾いたんですね。弾いていく間に、原曲に近いような響きを出すテクを思いついて、4月のレコーディングではアップライトピアノに細工を加えることでスネアに近い音を実現できました。

――となると、思い入れの強い曲はやはり「ボレロ」ですか。

「ボレロ」はアルバムの最後を締めくくる曲なので、思い入れはあるんじゃないでしょうか。最初の「HUMAN UNIVERSE」もそうですね。もともとタイトルだけは、2019年ぐらいから自分の中にはあって、それが形にできたので。

――イメージすることは大事だといいいますが、実現の第一歩でもあるんですね。

そうだと思います。

角野隼斗さん 2023年7月14日開催の武道館でのライブの様子1

角野隼斗さん 2023年7月14日開催の武道館でのライブの様子2
角野隼斗さん 2023年7月14日開催の武道館でのライブの様子3

角野隼斗さん 2023年7月14日開催の武道館でのライブの様子4
↑2023年7月14日に開催された武道館ライブの様子。角野さんの誕生日だったこともあって、アンコールでは会場から「おめでとう」の声援が飛び「Happy birthday to you」の大合唱に。©yuya Amao

――先ほどのボレロのアイデア奏法に通じるのかもしれませんが、7月の武道館コンサートでもピアノの弦をタオルで押さえたりして弾いていましたよね? 

あれは基本的には自分のピアノじゃないとできないんですよ。普通のホールで演奏会をする場合は、ああいった表現はできないので、コンサートでやったのは初めてですね。音色が変えられるので、要所で使うと効果的です。

――武道館のコンサートは自分のピアノを持ち込まれたからできたんですね。ホールと武道館では、コンサートの構成も違うんですか。

前半はオーソドックスなピアノリサイタルにして、後半でオリジナリティを出すというのがよくあるフォーマットなんですが、武道館に関しては、そもそも生音ではないから、生音を聴かせるというところでの価値を出しにくいわけですね。

――確かに。ただ武道館ライブは想像以上にエンターテインメント性の高いステージで、生音に匹敵する、あるいはそれ以上の感動がありました。音に合わせて光が変わるような演出も素敵でした。

普段、ホールに生音を聴きにきてくれるお客さんも武道館にはいらっしゃるので、同じようなことはできないなと。武道館ライブの方針を決めるのにも紆余曲折あったんですが、純真に音楽を見せるというシンプルな方向に落ち着きました。シンセサイザーを置いたり、自分のピアノを持ち込んで内部奏法を可能にするとか、ホールではやりにくいことを盛り込みました。

     

5_ NYでの2拠点生活と
角野隼斗のこれから

世界での活動を通して独自のスタンスで
クラシック音楽と向き合っていく

角野隼斗さん メンズノンノインタビュー7

――NYに拠点を移したのはどうしてですか? 本場のジャズを学びたいと、あるドキュメンタリーではおっしゃっていましたが。

それよりも僕はもっと広い意味で世界を知りたい、学びたいという気持ちのほうが大きいですね。あとは日本にとどまっていないんだというアピールでもありました。ソニークラシカルに対してもそうでしたし、マネジメントに対しても。NYに住むということは、世界で活動したいという意思表示でもあるので、それが今のヨーロッパや北米のマネジメント契約にもつながっています。

保障も後ろだてもない状態でNYに行くというのは怖いことでもありましたが、それを置いてもジャズや、現代アート、オペラとか、何でも吸収して学んで、アウトプットに活かしたいという思いが強かったです。

――パリやロンドンでなくNYを選ばれた理由はなんでしょう。

2022年に仲のいいカメラマンに連れられて2週間ぐらいNYに遊びに行ったんですね。その初めてのNYが自分にとってすごく刺激的で。いろんなミュージシャンやアーティストと出会って、交流して、ときにいっしょにセッションして。そういうことができるのがとてもいいなと思って決めました。実際にNYに住んでから、矢野顕子さん、ホセ・ジェイムズというシンガーや、ドリーム・シアターのジョーダン・ルーデスというキーホーディストなど刺激的な人に出会えて。ありがたいです。

――広がっているということですよね。世界的なオーケストラとの共演も増えています。

今年4月の、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのデビューは大きかったです。こんなに早くチャンスが回ってくるとは思いませんでした。日本にいたら実現していなかったでしょうね。いつかカーネギーホールでも弾いてみたいです。

――これから音楽を通して伝えていきたいことは何ですか?

音楽以外で生きる道もあった僕が、今こうして音楽をやっているというのは、よくも悪くも仕事としてではなく、単純に音楽が楽しいからというスタンスなんです。これはYouTubeをやり始めたことから変わらなくて、自分が楽しい、面白いと思ったものを誰かと共有したいというのが、純粋なモチベーションとして僕にはあります。

――初心が変わらないというのは素晴らしいですね。

それとは別に、客観的な視点としては、長い歴史を持っているクラシック音楽の中で、100年くらい前にレコードが生まれて、至高といわれる演奏を録音した名盤も出尽くした21世紀の現代において、クラシック音楽で何ができるのかということを、僕たちの世代は考えていくべきだと思っています。


角野隼斗さん メンズノンノインタビュー8

――具体的には新しい表現をしていくということでしょうか。

新しい表現の仕方というのは、自分の場合はYouTubeのような新しいメディアやプラットフォームを使うということでもあるし、今のあるほかのジャンルを取り入れてクラシック音楽の文脈で生かすということでもあるし、編曲や即興をするということでもあります。実は編曲や即興は、200年前の今クラシックと呼ばれる音楽をやっていた人、誰もがやっていたことなんです。

――譜面通りに弾かねばとなったのは、後世のことなんですね。

僕たちは、そこに立ち返って鮮度を上げることもできるわけです。世界がデジタル化して変わっていく中でどうしたらクラシック音楽を、本質を失わず、未来に残していくことができるか? そのために僕が持っているものをどう活かせるか? ざっくりとしていますが、これがずっと、僕が一貫してやっていることです。

――あくまでベースはクラシック音楽に置かれている。

ジャンルで分けて考えてはいません。例えば即興しているときにクラシックなのか、ジャズなのか考えないですし、それは体の中から自然に出てくるものであり、自分が感情をこめるとかじゃなくて、自然に湧き上がってくるものだし、自然に吸収したいという思わせられるものなんですね。

――角野さんにとって、音楽とは生きるということに近い感覚なのでしょうか?

そうですね。生活よりも一段階強いものですね。自分は音楽と一体化しているんだと思います。

    

\教えてほしい!/

角野隼斗さんの普段の持ち物と
演奏するときのファッションの話

ピアニスト角野隼斗さんの私物 メモ帳とモーツァルトの譜面

――練習や作曲に使うiPad、鍵盤やワイヤレスペダル、AirPods Maxヘッドフォンのほかに、モーツァルトのコンチェルトの譜面がありますね。演奏する曲は基本的に暗譜されていると思いますが、今、譜面を持っているのはどうしてですか?

譜面は今のツアーをしているオーケストラとの共演で弾いているものです。練習のときに、自分が感じたことやこう弾きたいと思ったことを、忘れないように書き留めておくためということが多いです。僕は、譜面に直接書くことはほとんどなくて、iPadに読み込んだ譜面に細かくいろいろ書いています。

――モンドリアンのメモは、何に使われているのですか?

これはNYのMoMAで買ったんですが、主に語学に関することです。ドイツ語や、韓国語など、コンサートで行く先々の言葉を勉強しています。語学は楽しいですね。

――クラシックの演奏会では正装がドレスコードということで、角野さんもジョルジオ アルマーニやディオールなどのブラックスーツを着ていらっしゃるとのことですが、いいスーツは演奏がしやすいですか?

快適で心地いいことがとても重要で、ストレッチ性や軽さがポイントになってきます。重いスーツは弾きにくいです。極論を言ってしまえば上裸がいちばんですが(笑)。ユジャ・ワン(中国出身のカリスマ女性ピアニスト。タイトなワンピース姿での演奏も有名)がうらやましい。

   

Profile
角野隼斗 HAYATO SUMINO

ピアニスト・音楽家。1995年生まれ、千葉県出身。幼少期からピアノを始め、小学生の頃から数々のピアノコンクールを制覇、また作曲もはじめ「天才音楽家」として脚光を浴びる。東京大学大学院在学中の2018年に、国内最大級のピティナ・ピアノコンペティション特級でグランプリを受賞。2021 年にはショパン国際ピアノコンクールでセミファイナリストに。これまでにポーランド国立放送交響楽団、ボストン・ポップス・オーケストラなど、多数のオーケストラと共演。2023年からニューヨークに移住。2024年、ベルリンに本拠を置くソニークラシカルとワールドワイド契約を締結。同年、自身最大規模の日本ツアーを開催し、誕生日の7月14日に日本武道館公演を開催。日本武道館におけるピアニストの単独公演として史上最高となる 13,000 人を記録。作曲家としてもNHK「サタデーウオッチ9」のテーマ曲や、ドラマやCMへの楽曲提供を行う。クラシックのピアニストとして世界的な地位を築く一方、ジャンルの垣根を超える探求心で俊英の音楽家として躍進中。

角野隼斗 公式サイト
https://hayatosum.com/
Instagram
https://www.instagram.com/hayatosumino/
YouTube
https://www.youtube.com/@cateen_hayatosumino

    


New Release

世界デビュー・アルバム
「Human Universe」が10月30日発売!

角野隼斗さん アルバム「HUMAN UNIVERSE」通常版ジャケット

幼い頃から興味を持っていた宇宙と、音楽、人の心をテーマに16の楽曲で構成。「主よ、人の望みの喜びよ(J.S.バッハ作曲)」「ボレロ(ラヴェル作曲)」などクラシックの名曲から、「solari(坂本龍一作曲)」「DAY ONE(映画「インターステラー」より) 」などモダンミュージック、また「HUMAN UNIVERSE」「3つのノクターン」など自身の作品まで、多彩なピアノの音色で奏でている。

今回のアルバムの楽曲を中心に演奏する「角野隼斗 全国ツアー 2025 “Human Universe” 」も2025年2月に開催が決定。詳細は下記HPをチェック!
https://hayatosum.com/archives/3791

ニット¥77,000・パンツ¥44,000(ともに ポール・スミス)/ポール・スミス リミテッド 

ポール・スミス リミテッド TEL:03-3478-5600

Photos : Yutaro Tagawa[CEKAI] Hair & Make-up : MAIMI Stylist: Haruna Konno Composition & Text : Hisami Kotakemori

小竹森久美

小竹森久美

エディター

「僕らの永久定番ファイル」や「コレクション速報」などファッションテーマを幅広く執筆。

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