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第6回
1960年代からジャンルを横断!
アーティスト・田名網敬一の
初・大規模回顧展
\ここに注目!!/
国立新美術館
「田名網敬一 記憶の冒険」
ジャンルを超えて活躍する彼の人生を包括する圧巻の展示! アートとカルチャーの変遷を体感!
田名網敬一《森の掟》2024年 顔料インク、アクリル・シルクスクリーン、ガラスの粉末、ラメ、アクリル絵具/カンヴァス 250×200㎝ ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA
60年以上、絶えない
創作意欲とともに描き続ける
時代の生き証人!
「アーティスト」という肩書を持っていても、アートの世界にとどまらず、さまざまな手法を用いた作品を発表し、ときにファッションやカルチャーなどコマーシャルな世界ともコラボレーションする活動は、今となっては珍しくはないと思います。でも、そういうジャンルや業界を超えた活動も、先駆者がいるんです。
60年以上前に日本でその先陣を切ったのが田名網敬一。多岐にわたるその活動はデザイン、イラストレーション、アニメーション、実験映像、立体作品、絵画など。今もなお、現在進行形で拡張、増幅しています。8月7日より国立新美術館にて、彼の初となる大規模回顧展が開催されます。
1970年から、ヨーロッパ、アメリカ、中国など海外のギャラリーや美術館で個展を開催し続け、国内でもアートギャラリーに限らず、グラフィックやファッションの領域でもその才能は高く評価されてきました。また、活動初期の60年代後半から、音楽や映画、文芸に関わる多くの雑誌のエディトリアルデザインを行い、1975年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、田名網さんの軌跡自体が当時のカルチャーを知る貴重な資料になっています。年を重ねるごとにより力強さを増しているような、サイケデリックでグラフィカルな世界観。その原点には、自身の80年間にわたる過去の記憶、幼少期に体験した戦争、そして45歳で生死を彷徨(さまよ)った大病の経験が大きなきっかけになっているといいます。過去のインタビューで「どの時点で人生を振り返ってみても、あれほど衝撃的な出来事はない」と語る、第2次世界大戦を体験した幼少期の記憶は、大人になった今も脳裏に焼きつき、また終戦後の日本の変わり果ててしまった景色と大量に輸入されたアメリカ文化は、無意識下でも彼の表現に影響を与えました。
本展で発表する「NO MORE WAR」シリーズは、1967年に制作されたシルクスクリーンを用いた作品。タイトルのとおり、アメリカの雑誌『Avant Garde』が1968年に主催した反戦ポスターのコンテストに出品され、優秀作品にも選ばれたもの。意味としては反戦をうたっていますが、色使いやシルクスクリーンなどアメリカンコミックやポップアートに影響を受けていることも同時に見て取れます。私も祖母から聞かされた話で、初めてアメリカのカラフルなお菓子、コミック、アニメなど(今となっては日本のどこでも手に入るようなものではあるけれど)アメリカンカルチャーに最初に触れた瞬間がいかに衝撃的だったか、というのがあります。まさに田名網さんの当時の作品はそのセンセーショナルな体験を可視化した貴重なもの。
しかし、70年代初頭にアメリカのシンボルに別れを告げるようにアニメーション〈Good-by Marilyn〉(1971年)を発表し、そこから徐々に自分自身の記憶や夢をもとに制作するようになりました。その中でも、1981年に4か月近く、大病で入院した際に生死を彷徨い、毎晩薬の強い副作用でうなされながら見る幻覚が「常磐松」シリーズ(86-87年)を制作するきっかけとなります。無事退院した後も、田名網さんにとって幼少期の体験から一貫して考える「死」の存在は、創作のエネルギーへと変換され、年を重ねれば重ねるほど大作を発表し続けることに。世界情勢が目まぐるしく変わる今だからこそ、田名網さんの記憶の旅にじっくりと向き合ってみませんか?
田名網敬一《ドカーン》2022年 顔料インク、アクリル・シルクスクリーン、ガラスの粉末、ラメ、アクリル絵具/カンヴァス 149×100㎝ ©Keiichi Tanaami / Courtesy of NANZUKA
生前から交流があり、尊敬していた漫画家・赤塚不二夫とのコラボレーション。ほかにも、JUNYA WATANABE、RADWIMPSやGENERATIONS from EXILE TRIBEなどファッションから音楽まで幅広い分野の作品を発表してきた。
「田名網敬一 記憶の冒険」
国立新美術館にて8月7日(水)から11月11日(月)まで開催。港区六本木7の22の2 休館日:毎週火曜 開館時間:10:00~18:00(※入場は閉館の30分前まで)
倉田佳子
大学卒業後、独学で編集・執筆業を始める。その後、5年間会社員と副業で編集・執筆業を並行し、2022年に独立。国内外のブランドやメディア、アーティストと仕事をする。
Instagram:@yoshiko_kurata
Title logo:Midori Kawano
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