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ずっとイランの巨匠アッバス・キアロスタミの作品が見たかったのですが、なかなか配信されなくて見損ねていたんです。そうしたら、たまたまDVD屋さんで『トスカーナの贋作』を見かけて、即買いしました。観たら思いのほか難しかったですが(笑)、いい映画だなぁ、と。恋愛映画だけど、単なる恋愛映画じゃない。カットや撮り方など、画作りも面白くて、とっても惹かれました。
『トスカーナの贋作』
写真:Everett Collection/アフロ
登場人物は主に2人で、一人は『贋作〜本物より美しき贋作を』という本を書いたイギリス人作家です。彼がトスカーナに講演にやって来て、ファンである女性が講演を聞きに来ます。そこで作家に話しかけた彼女は、彼と2人で会う約束をするところまでこぎつけるのですが、出かけた先のカフェで店員さんに“夫婦”と間違われたことから、“夫婦ごっこ”みたいなものが始まります。
すると2人が話していることが、どこまでが嘘でどこからが本当か分からなくなっていくんです。“夫婦のフリをした芝居”のはずなのに、昔のことについて2人の話が合っていて、ナゼだ!?と思ったり。観ながら、“これは一体、何なんだろう!?”ってなっていました。
即興とは思えない会話のテンポのよさに引き寄せられる!
作家と彼女が、とにかくしゃべる。カフェ以降はずっと“夫婦として”の会話を重ねていくのですが、とにかくセリフ量がハンパない(笑)! しかも彼女の感情の起伏が激しくて、言い争ったりすることも多くて。だから余計に“ごっこ”のはずが本気の言葉に感じられて、嘘か真(まこと)か分からない。でも、それが面白いんです。
彼女は急に怒り出したりして言葉を投げつける。そんな姿に、僕は思わず「僕が彼なら帰るなぁ」って思いました(笑)。あちゃ~、面倒くさいって、きっとなる。でも同時に、そういう知的な会話や議論に、どこか憧れる自分もいて。しかも不思議なことに、色んな言い合いをしていた次の瞬間には、何事もなかったかのように元通りになっていたり、笑顔になったりするから、“怖っ”と思ったけど、それもフランス人らしいのかなと、ちょっと納得しました。
というのもフランスに行った時に、フランス人は車の運転をしている時、クラクションをメッチャクチャ鳴らすんだよ、と聞いて。ものすごい勢いでブブブブ~って鳴らすけれど、その後は「どうも~」みたいに走り去るって。とにかく感情の切り替えが早いと聞いたことを思い出しました。
彼女はトスカーナに住んでいるけれどフランス人でシングルマザー。もちろん最初から作家のファンだったのもあるだろうけれど、作家と夫婦ごっこをしているうちに、段々と“嘘の関係”を“現実の関係”にしようとしているように感じました。でも作家は自制していて……。彼には妻子がいるのかなと思いましたが、2人のそんな駆け引きも面白かったです。
仕事で経験した、“ごっこ”が本当になる瞬間
彼女にとっては、“夫婦ごっこ”が本物の恋になってしまったのかな。考えてみると、俳優が“役を演じる”のも“ごっこ”なんですよね。そして演技が本物になる瞬間ってそれに近いのかな。僕もお芝居をしているうちに役の感情が本物になった瞬間が何度かありました。
『かそけきサンカヨウ』という映画で僕のお母さん役の西田尚美さんと、家族について会話をしているシーンで、話を聞いているうちに情景が浮かんで、“あぁ本当に自分はこの人から生まれたんだな”って感じたんです。お父さんとお祖母ちゃんがいる小さい頃からの映像が、頭の中にワ~ッと流れ込んで来て、自分でも“うわ何これ!?”ってなりました。
ドラマ『silent/サイレント』の時も、電話で川口(春奈)さんの声を聞くだけで悲しみがこみ上げて来て、“あぁ、この人と本当に別れたんだな”って喪失感に襲われたんです。そういうシーンを撮り終えて、自分の出演シーンの撮影が一旦終わった瞬間、39度くらいまで熱が出て。20時間くらい寝込んだら収まりましたが、なにか本当に“演技が本物になっちゃった”という感覚を経験しました。
「偽物と本物」という難しいテーマが面白い!
タイトルにもある「贋作」ですが、つまり「偽物」ですよね。そこも意味深で興味をそそられました。例えば劇中の2人の関係も「偽物の夫婦」ですし、贋作に関する話題が2人の会話にも色々と出て来るんです。「偽物の価値とは」という視点が、すごく面白いなと思いました。
例えば、僕が日々触れているレコードにもレプリカがあるし、家具にしても何年か経つと、ジェネリックで同じデザインのものが作られる。僕はピエール・ジャンヌレという人の家具が好きなんですが、今はみんなが彼のデザインの家具を作れるから、割と世に溢れてます。本物は手が出ないくらいに高価だけれど、同じように作ったものは安く買える。贋作があるからこそ本物の価値が上がるという会話も作中にあった気がしますが、確かにそうだよなと思わされました。「本物と贋作の価値」というテーマは、難しいですね。
自由自在な感情の振り幅がすごい!
主演のジュリエット・ビノシュさんは、これまで知らなかったのですが、すごく多才だという印象を受けました。英語とイタリア語とフランス語を普通にしゃべっているのがまずスゴいし、お芝居が上手いだけでなく、役の中での振り幅がすごく自由な人だな、と。いろんな感情の波の起こし方が自由にできる人なのかな、と感じました。
キアロスタミ監督は、僕の中ではドキュメンタリーっぽい映画を撮るイメージが強かったので、こんな緻密に編み込まれた、密度の高い映画を撮るんだ、という驚きがありました。でもやっぱり、街の人たちの動きがめちゃくちゃナチュラルで、それはドキュメンタリー制作で培われたものなのかな、と。それに、とにかく印象的なカットが多いんですよ。
リアリティがありつつ美しい映像。ここでもウソとホントの境界が・・・
特にラスト付近の、作家が洗面台みたいなところに行って、カメラが動いて窓枠が映ると、それまで2人がいた教会の鐘が鳴ったり。作家の洗面台シーンと、女性がレストランのトイレで口紅を塗るシーンが同じ構図だったり。鏡を使った撮り方――カットを割らずに、鏡越しに相手が何をしてるか見せるシーンも何度かあって、え〜そんな計算する!?って驚きました(笑)。すごいのと同時に、きっと楽しくワクワク撮っていたんだろうな、と感じました。
あまり映画自体がほどけてなくて、ラストの解釈も観客に委ねられているんです。でもだから観終わったとき、“あぁ、いい映画だな”と感じる。難しいとも感じるかもしれないけれど、いい恋愛映画を見たい人には是非おススメしたいです。大人フレンチなテイストの恋愛映画。観始めると、どんどん自分の中で選択肢や気持ちが枝分かれしていくんです。2人の会話を自分に置き換えて、自分ならどう考えるか、自分だったらどうするか、自分の人間関係も含めて、本能と本心、理性的に考えたときの選択など、枝分かれして色んなところに行ける感覚がありました。
そしてこれから2人がどうなっていくのか、ラストをどう解釈するかも含め、観客に委ねられている。すべて自分で自由に決めていいし、自由に想像していいし、テーマの“真贋”についても、すべて観る人に委ねられているような自由度の高さを感じました。もちろん歴史を感じさせるトスカーナの街の魅力、自然の風景なども魅力です!
噴水の前に建っている銅像について、2人が町の老夫婦と話すシーンがあるんですが、肝心の銅像がなかなか映らないんですよ。それでメイキングを見たら、美術部さんが渾身の銅像を作ったのに、いざ水を流したら想定していた流れと違って、おしっこしてるみたいに水が流れちゃったらしいんです(笑)。加えて、主演のジュリエット・ビノシュさんが、その銅像について「なぜ女性が男性の後ろにいるのか分からない。男性が女性を支えるっていうのに」と強く発言されていたこともあって、美術部さん力作の銅像をあまり映せなかったそうで、可哀そうやら、可笑しいやらで(笑)。ビノシュさんは、女性が作家に頭をもたせかけているポスタービジュアルについても、“どうしてそんな風に女性が男性に委ねているのか不思議だ”とおっしゃっていて。意見のはっきりした方なんだな、というのも興味深かったです。
それと、このシーンの別れ際にお爺ちゃんが作家にアドバイスするんですよ。「そっと肩を抱き寄せればいい」って。そうしたらレストランに入る瞬間、作家が本当に女性にそうしたのがメッチャよくて、僕もあれ、やりたいな~って。脚本を読みながら、“それができるところないかな!?”って探したりしています(笑)。
『トスカーナの贋作』(2010年製作/106分/フランス・イタリア合作)
『友だちのうちはどこ?』『オリーブの林を抜けて』『桜桃の味』などで知られるイランの名匠アッバス・キアロスタミが、初めて母国イランを離れて撮った作品。イタリアの南トスカーナ地方の小さな村を訪れたイギリス人作家が、ギャラリーを経営するフランス人女性に誘われ、出かけることに。ところが、あるカフェの店主に夫婦と勘違いされたことを機に、2人は長年連れ添った夫婦のように振る舞いはじめる。自分の人生を振り返りながら会話を続けるうちに、次第に気持ちが揺れ始め……。ジュリエット・ビノシュがカンヌ映画祭・主演女優賞を受賞。
しばらく映画の撮影で地方に行っていました。ホテルではタブレットで映画を観て過ごしていました。内容をお知らせできる日を楽しみにしていてください!
Text:Chizuko Orita
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