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今回は金沢21世紀美術館で開催中のコレクション展「電気-音」の招へい作家でもある2人を招いての座談会。アーティストってどんな人たちなのか、作家にとってのキュレーターはどんな存在なのかなどについてトーク!
[左]涌井智仁 アーティスト
1990年生まれ。美術家、音楽家。オルタナティブ・スペース「WHITEHOUSE」も運営する。
[中]髙木 遊 キュレーター
1994年生まれ。The 5th Floorおよび金沢21世紀美術館アシスタントキュレーター。
[右]小松千倫 アーティスト
1992年生まれ。音楽家、美術家、DJ。世界各国のレーベルから、多数の音源を発表。
第11回
アーティストとキュレーターのすてきな関係
髙木 キュレーションした「電気-音」展というサウンドアートの展覧会がついに始まりました。美術館の収蔵作品とともに、僕的に同世代で天才の2人である涌井さんと小松さんの作品を展示することで、他の作品の解釈にも幅を持たせたかった。2人はいつ頃から作家として生きることを意識してた?
小松 16歳から音源を作っていたんだけど、美大で藤本由紀夫先生というサウンドアートのアーティストに出会ったことが大きい。就職のために学んでいたグラフィックデザインより音楽でアートを作るほうが絶対面白いって確信して。サウンドの制御できなさは自分の生き方につながる部分もあるし。
涌井 僕は根本的に見たことがないような新しいものが好き。でも今のところアート以外でそれを見たことがないから、それしか選べなかった。僕の脳内には大量に新しいアイデアのストックがあるけど、とどめたまま死んではいけない、作品として外に出さなきゃと。だからアーティストになった。
髙木 2人の生活における制作の割合ってどのくらい?
小松 制作3割、メイクマネー7割くらい? 後者に入るのは、人から頼まれて音楽を作ることやDJ、美大の非常勤講師。でも割合も時によるし、発注されてボツになった音楽を自分の制作に生かしたりもするから線引きは難しい。
涌井 僕は金稼ぎは月いくらまで、その額を稼いだらこの月は働くのをやめると決めてる。なるべく家にいる時間をつくって家の中にある偶然性に晒(さら)されているもの、例えばテレビとかをずっと観てる。知らなくていいことをいっぱい知ることこそが人生だと思う。日光のおいしいパン屋とか(笑)。そうしてアートマニアックになりすぎないようにしてる。自己模倣はつまらない。
髙木 アートマニアックになると、作品や展覧会がその先に行けない。既存のものからの逸脱が必要。
小松 今回の展示の前にも、遊ちゃんとはいろんな話をした。最初に作品のプランを話したらすごく面白いって言ってくれたんだけど、制作するうちに不安になってきて当初のコンセプトとズレてくる。すると“最初のとこ忘れたらあかんやろ”ってコアなことを専門的にアドバイスしてくれる。それが僕にとってのキュレーターの役割。
涌井 アーティストやその作品って開かれてるがゆえに無防備な存在。作品のみで存在していると、リーチするコンセプトや人数も少ない。優れたキュレーターはそこにまったく別な意味をつけ足しちゃう。アートは自分の死後、数百年先にも見られるものだから、死んだ後にひと言で言い切られないように多くの文脈を引き受ける必要がある。だからキュレーターは不可欠。
髙木 僕にとってアーティストはガソリン。作家がいないとキュレーターは存在できない。一緒にやるからこそ、最初にひとりで想像していたものを軽軽と超えるような展示ができる。
涌井 21世紀美術館はすごくオープンな場所だよね。普段演歌しか聴かない人やK-POPしか聴かない人にも届けられる。そういう人に展示を体験してもらえるのはすごくうれしい。
髙木 ディープに、でも間口は広く本気でつくりました。とにかく来いって話!
展示風景より、涌井智仁《MONAURALS/夜の身体と残酷(あるいは、距離と距離のテクノロジー群に関係したドラマの再構成、または、1300m後のメッセージの可傷性について、つまるところ、せいしは失われなければいけない)》(2023) Photo:Yuu TAKAGI
展示風景より、小松千倫《Painful(OKII NAMINO NETS ARUYO)》(2023) Photo:Yuu TAKAGI
コレクション展 2:電気-音/金沢21世紀美術館
「美術館の収蔵作品を中心にした展示ですが、現代を生きる作家が並ぶことで他の作品がどう変わるのかぜひ見に来てください!」(髙木さん)
●会期:開催中 ~2024年5月12日(日) 10:00~18:00(金・土曜は20:00まで)
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キュレーター髙木遊のアートってサイコー!!