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俳優としてのキャリアはゆうに40年を超える。これまでに数多くの作品に出演し、その類いまれな存在感と演技力で今や日本映画を代表する名優となった。最新作は『春に散る』。アメリカで事業を興し成功を収めたものの、不完全燃焼の心を抱えて突然帰国した元ボクサーを演じている。「大事なのは自分がどうしたいか」。そう語るこの人にインタビュー。
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年寄りだからといって
成熟しているわけではない
――今回、佐藤さんが演じた元ボクサーの広岡仁一は、枯れたと思いきや血の気も多いし、ヘタなプライドもある。ある意味で欠点や矛盾を抱えた人物だと思いますが、どのように役を演じていきましたか?
佐藤 僕自身、常に言っているのは、経験を積んだ先人、先達が人間的に上にいるわけじゃないということですよね。僕らの時代、それこそ昭和の頃なんていうのは、先輩の話は拝聴するものだと教えられて、それはそれでべつに間違ってはいないけれども、いざ自分たちがその立場になってみると、全部がそうではないよなと。はっきり言って、老いた人でも罪を犯す人はいるわけで、年寄りだからといって成熟しているわけではない。「年寄りはメチャクチャなんだよ」という仁一のせりふがありますが、人は皆多かれ少なかれ矛盾を抱えて生きている。ただ、それでも年齢を重ねた分だけ培ったものが年寄りにはあるから、言えることは言っていくということですよね。
――何かを成し遂げようとする若者と、何かを残そうとする年長者。横浜流星さん演じる翔吾の人生と、仁一の人生が対比する描写がとてもよかったです。あと、ボクシングのシーンもすばらしかったです。佐藤さん自身、印象に残っている場面はありますか?
佐藤 どこだったろうな。年のせいで終わると全部忘れちゃうんです(笑)。というのは冗談だとして、やっぱりボクシングシーンはすばらしかったですね。彼らがいかに覚悟を持って、リングの上に立っていたか。そのすべてがカメラに映り込んでいました。あのシーンがちゃんと成立したからこそ、この映画も成立することができたと思います。凡庸な立ち回りを見せられたって、何の感動もないし、何も残りはしません。あのとき互いにリングの上で散らした火花というのは、そのときの彼らの本気のリアルであり、それはセコンドで見ている僕らも感じたし、客席にいるエキストラの人たちも間違いなく感じたと思います。
――横浜さんとはどういうやりとりがあったんですか?
佐藤 流星は流星で考えていたのか、お互い最初のうちはあんまり近くにいないようにしていましたね。映画における二人の関係性を考えて距離を置いておこうという感じでしたけど、途中からはもう普通に、常に話をしていました。面白いやつですよ。
――劇中、横浜さんとのミット打ちのシーンがありました。パンチを受けるのはけっこう大変だったんじゃないですか?
佐藤 きつかったですよ。結局、ブルペンキャッチャーなんですよ。ピッチャーにいいボールを投げていると思わせるために、どれだけいい音をさせて球を捕れるかというのもブルペンキャッチャーの役割でしょう。ボクシングのミット打ちもいかにいい音をさせて、打ち手が気持ちよくなれるかということが大事で、そうするとやっぱりミットを引いちゃダメなんです。ミットを前に出していく。それがすごく強烈に痛い。実際、流星のパンチはきついし、そういったことも含めて、人が見ているよりは大変でした。
――そういえば、横浜さんがボクシングのプロテストに合格したというニュースがありました。この作品がきっかけだったんですか?
佐藤 撮影中に「プロテストを受けてみようかな」と言ってましたからね。ただ、そうは言ってもテストに落ちてしまうこともあるわけで、それもわかったうえで、自分がプロテストに受かればいかに真剣に取り組んだかの証にもなるし、この作品にとってどれだけ大きな意味合いを持つかということをちゃんと考えて挑戦したのだから、立派ですよ。
いちばんの喜びは、
現場がひとつになったとき
――俳優として長いキャリアをお持ちですが、撮影に臨むときのスタンスは変わったりしましたか?
佐藤 変わらないですね。とりあえずロケ現場に行けば早く現場を見たいし、セットだったら真っ先に青図を見せてもらう。そうやって大体のカメラ位置を確認しながら芝居を想定したりするんですけど、そのスタンスはずっと変わらないです。ただ、年齢と経験を重ねてきたことで、まぁ、余計なことが目につくんですよ(笑)。なので、ときにはあえて声に出して言うこともあります。そうすることで現場が引き締まることもあるし、逆に「ここは和ませなきゃいけないな」というときは冗談を言ったりもします。要するに、空気の盛り方を誰がつくるかということですよね。僕みたいな年長者がやったほうがいいときもあれば、若い子たちに空気をつくらせたほうがうまくいくときもある。そこはそのときどきで変わります。
――なるほど。
佐藤 でも、本当に昭和の時代のベテランの俳優さんは現場を引き締めるだけだったんですよ。
――そうだったんですか!?
佐藤 必ず眉間にシワが寄っていましたからね。特に主役クラスは。僕らが若手の頃は椅子にも座れなかったですから。まず制作部が椅子なんか用意してくれなかったし、勝手に用意しようものなら「おまえ、いつからそんな偉くなったんだ」と思われちゃう。あるとき、主役の女優さんから現場用の椅子をプレゼントされたことがあったんだけど、そこで初めて「座っていいんだ」ってなりました。25~26歳のときです。いい悪いではなくて、そういうことを経験できたのはよかったなと思います。
――現場にいる喜びというのはどういうときに感じますか?
佐藤 やっぱり現場がひとつになったと感じられたときですよね。今回の映画であれば、ボクシングシーンで若い俳優たちが覚悟を決めて本気で殴り合っているわけです。そのすさまじい熱量が周りに伝わって、それによって全員が集中する。みんなが集中してひとつになったと感じられたときの喜びはこの仕事を始めてからずっと変わらないですね。
望まれるところに
自分はいたい
――今回の作品に絡めてお聞きします。自分の人生に終わりがくるとなったとき、何をしたいと思いますか?
佐藤 限りがあるとわかったときに「これをしなきゃいけない」と思うような人生ではなかったなと思えることが重要なのかなって。それが幸せな人生なんだろうなと思います。
「とにかくいろいろなことを
経験できるかどうかだと思います」
――後悔がないように毎日を生きるということですね。
佐藤 もし自分がそうであるならばね。実際、それなりの経験はさせてもらったので、自分の人生は恵まれていたんだなと思います。
――「これをやってみたかった」みたいなことはないんですか?
佐藤 いや。だったら、もうやっているでしょう。「こんな役をやりたい」とか「あんな役をやりたい」ということを思わないほどにいろいろな役がやれたと思うし、一度っきりの自分の人生である以上、そういう生き方ができるようにやっていくしかないってことですよね。
――それこそ佐藤さんが10代後半や20代のときに、今の人生とか今の立場をイメージしていましたか?
佐藤 当然、いちばん右端に名前がいきたいと思うこともあったし、そういうことを一切考えずにやりたい役をやりたい、やれるようになりたいと思うこともありました。それは生きざまとしてどちらも正しいわけですよ。やりたい役=右端というときもあれば、そうでないときもまたあるわけで。ただ、何だろうな。若い時分からいまだに変わらずあるのは、請われる、望まれるところに自分はいたいなということですかね。
――若いときに、いわゆる野心とか野望というのは大事だと思いますか?
佐藤 あって当たり前だと思います。けれども、そういったものが別方向に出てしまった瞬間に、どうしても鼻についてしまって、芝居に何の魅力もなくなることはあります。とはいえ、そういう時期があってもいいと思うんです。よく1周回ってとか言うじゃないですか。そっちを経験しないとこっちに戻れないというのもあるし、そっちを経験したことでわかることだってある。だから、とにかくいろいろなことを経験できるかどうかだと思います。私生活も含めて。
よく言えば愚直、
悪く言えば愚鈍
――自分が過去に出演した作品を観ることもあると思うのですが、そういうときってどういうことを思ったりするのですか?
佐藤 今というか、もう10年以上前になるのか。自分が50歳前後のときにいちばん思ったのは愚直だなってことですね。よく言えば愚直、悪く言えば愚鈍(笑)。
――えっ、愚鈍ですか!
佐藤 こんな芝居しかできなかったのかと思いましたよ。
――そうなんですか。
佐藤 でも、それもそれでよしとしなきゃいけない。それも通過点のひとつであり、なければダメだったんだろうなと。愚鈍な芝居をしていても、そこからまだつないでこられて今の自分のところまでこられたのは、言ってしまえば運なんですよ。役との出会いや人との出会いも含めて、恵まれたなということですね。
――では、これまでを振り返って、後悔していることって何かありますか?
佐藤 酒飲みでの失敗かな(笑)。
――相当あったんですか?
佐藤 昔はありましたね。酒飲みでの失敗に対してもおおらかだったというか、先輩たちも含めていろいろなことを見ていたので、あの頃は勝手に正当化していたけど、まぁ、ダメなものはダメですよね(笑)。
――あのときは大丈夫だったけど、今やったらダメということはたくさんありますよね。
佐藤 そうですよ。今は成り立っていることが10年後に果たしてそのまま残っているかと言ったらわかりません。僕らの時代は「監督、こういうときはどう演じたらいいんでしょうか?」なんて聞いたら、「そんなこと自分で考えろよ、バカ野郎!」って言われたものですけど、今の時代にそれをやったらアウトですからね。
――本当にそうですね。
佐藤 だけど、さらにまた10年たったときに、手取り足取り「ここはこうだよ」「あそこはああだよ」と教えてもらうことが果たして正しい形なのかどうかはわからないですよね。結局、正しいか正しくないかなんてことはよくわからなくて、大事なのは自分がどうしたいかってことなんですよ。あとで悔やまないようにやるっていうことなんだと思います。
『春に散る』公開中
不公平な判定で負け、アメリカへ渡り、40年ぶりに帰国した元ボクサーの広岡仁一(佐藤浩市)と、偶然飲み屋で出会い、同じく不公平な判定で負けて心が折れていたボクサーの黒木翔吾(横浜流星)。仁一に人生初ダウンを奪われたことによって、翔吾は仁一にボクシングを教えてほしいと懇願。やがて二人は世界チャンピオンをめざし、命を懸けた戦いの舞台へと挑んでいく――。
監督:瀬々敬久
原作:沢木耕太郎『春に散る』(朝日文庫/朝日新聞出版刊)
出演:佐藤浩市、横浜流星、
橋本環奈、窪田正孝、
山口智子ほか
©2023映画『春に散る』製作委員会 配給:ギャガ
ACTOR / KOICHI SATO
1960年生まれ、東京都出身。80年にNHK『続・続事件』で俳優デビュー。『青春の門』(81年)で映画初出演を果たし、第24回ブルーリボン賞新人賞を受賞。『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94年)、『64 -ロクヨン- 前編』(2016年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。最近の出演作は『ファミリア』『ネメシス 黄金螺旋の謎』『仕掛人・藤枝梅安2』『せかいのおきく』『大名倒産』『キングダム 運命の炎』(すべて23年)。待機作に『愛にイナズマ』(10月27日公開予定)がある。
Photos:Teppei Hoshida Hair & Make-up:Kumi Oikawa Stylist:Yoshiyuki Kitao Composition & Text:Masayuki Sawada
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