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7作目
デヴィッド・ロウリー
『A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー』
©2017 Scared Sheetless, LLC. All Rights Reserved.
監督/デヴィッド・ロウリー 出演/ケイシー・アフレック、ルーニー・マーラ、リズ・カーデナス・フランクほか 販売元:ハピネット・メディアマーケティング Blu-ray¥5,280
『セインツ-約束の果て-』『ピートと秘密の友達』『グリーン・ナイト』などのデヴィッド・ロウリーによる92分のファンタジー映画。田舎町の一軒家で暮らす若い夫婦、CとM。ある日、Cが交通事故で急逝してしまう。病院でCの死体をひと目見て、シーツをかぶせて家に帰るM。すると死んだはずのCはシーツをかぶった幽霊となり、自宅へと帰ってきてしまう…。超小規模かつ即興的な体制でつくられたという美しい作品。
誰も見ることはないけど
確かに存在しているもの
主人公が寡黙な映画を撮ってみたい。『街の上で』のときにそう思っていたのに、結局主人公はおしゃべりな人物になってしまいました。今度こそ寡黙な映画をつくるんだ! と意気込み、思考する中で〈主人公が死んでいたらいいのでは〉という考えに至りました。そしたら物理的に他の登場人物との会話が成立しないじゃないですか。そんなことを考えながら『ア・ゴースト・ストーリー』を見返しました。
この映画は、事故で死んでしまった夫が幽霊となって妻を見守り続ける姿を描いたファンタジーです。亡くなった夫(ケイシー・アフレック)はもちろん、妻(ルーニー・マーラ)も夫の死以降はまったくといっていいほどセリフがなく、展開もとても少ないので、どこか絵本のようなかわいさとシンプルさと怖さを持った作品です。
この映画の好きなところは、「余韻」のようなものを大切に描いているところ。例えば、ある人がベッドで寝ていて、起きて、部屋の外に出ていったとします。この一連を撮るとき、通常だとカメラは起きた人を追いかけます。人物の行動を撮るほうが、より情報が伝わる気がするし、カメラって基本的には人物を撮るものだと思われているから。でも人が去った後のベッドを撮り続けることでしか伝えられない感情もあると思うんです。へこんだ枕が徐々に元の形に戻っていくさまからしか得られない感情ってきっとある。
『ア・ゴースト・ストーリー』が描こうとしているのは、そういう誰も見ていないような、何かが起きた“前後”の時間だと思うんです。それは、妻が家から引っ越した後もその場所に居続ける幽霊(夫)の姿だったり、ワンカットの長回しでひとつの場面を見つめ続けたりする姿勢に表れていると思います。誰も見ていない時間をどう映画に残すか。そのことをすごく考えている映画なんじゃないかと。
夫を亡くした直後、ルーニー・マーラが台所の床に座り込んでひたすらパイを食べ続けるシーンなどがまさにそれです。壁に反射する光の揺らめき。彼女を見つめる幽霊の存在。食すという行為。ワンカットであるほうが生きるそれらの演出、静謐(せいひつ)な時間を観客が見つめるという構造。
“誰も見ていない、でも確かにそこに存在することを描く”意義とは、“観客のまなざしによって、その存在がそこにあるものとされること”だと思うんです。生きていて孤独を感じるときって、みんなあると思う。自分のがんばりを誰も見てくれていないんじゃないか、私なんかいなくていいんじゃないかと思ってしまったり。でもきっと誰かは見ていてくれる。それは通常、神様の役目なのかもしれないけど、映画の中の孤独な登場人物にとっての神様は観客であり、翻っては観客一人ひとりの中にある孤独も誰かが見つめてくれている、という構造。観客が映画を見つめることで観客自身の日々が愛(いと)おしくなるような。映画にはそういった力があると信じています。
次回は、私の映画『街の上で』。
今泉力哉
1981年生まれ。2010年『たまの映画』で長編監督デビュー。2019年『愛がなんだ』が話題に。その他に『his』『あの頃。』『街の上で』『かそけきサンカヨウ』『猫は逃げた』『窓辺にて』『ちひろさん』など。10月6日に豊田徹也原作、真木よう子主演の最新作『アンダーカレント』が公開予定。
Photo:Masahiro Nishimura(for Mr.Imaizumi) Composition:Kohei Hara
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映画監督 今泉力哉のオフビート映画に惹かれて