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TBSラジオで毎週月~金曜の深夜1時より放送している「JUNK」の統括プロデューサーを務めている。 『伊集院光 深夜の馬鹿力』『爆笑問題カーボーイ』『山里亮太の不毛な議論』『おぎやはぎのメガネびいき』『バナナマンのバナナムーンGOLD』。 いずれも熱狂的な支持を集める人気番組であり、メンズノンノ読者の中にも熱心なリスナーは多いのでは。 「楽しくて夢中になれる場所」「エキサイティングで刺激的な場所」「安心していられる場所」。そんなラジオの魅力についてインタビュー。
宮嵜守史さん
RADIO DIRECTOR, PRODUCER / MORIFUMI MIYAZAKI
1976年生まれ、群馬県草津町出身。ラジオディレクター、プロデューサー。TBSラジオ「JUNK」統括プロデューサー。 担当番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』『爆笑問題カーボーイ』『山里亮太の不毛な議論』『おぎやはぎのメガネびいき』『バナナマンのバナナムーンGOLD』 『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『ハライチのターン!』『マイナビ Laughter Night』、綾小路翔の『俺達には土曜日しかない』。 YouTubeチャンネル「矢作とアイクの英会話」「岩場の女」ディレクター。
つまらなくて寂しい夜を埋めてくれたラジオ
――著書『ラジオじゃないと届かない』、とても面白かったです! メンズノンノも少し出ていましたね(笑)。
メンズノンノはほんとに学生時代に読んでましたから。メンズノンノに載っている服が欲しくて群馬から渋谷まで買いに行ったりしてました。当時は今みたいにケータイがないから、別冊でついているショップマップを大事に持って。行き方を調べるときは、お上りさんだと思われないように、人通りの少ない路地に入ってこっそり地図を見るんです。背が高くないのにアニエスべーのロングコートを買ったり、目は悪くないのにポール・スミスで眼鏡を買ったり、まんま載ってる格好をしてましたね(笑)。懐かしいなぁ。まさかその雑誌に自分が出るなんて。
――宮嵜さんはTBSラジオ「JUNK」の統括プロデューサーをされています。これまでに数々の人気番組を手がけてきましたが、そもそもラジオに興味を持ったのはいつ頃なんですか?
ラジオが好きになったのは高校生のときです。当時、僕は親元を離れて下宿生活を送っていて、そこは自室にテレビが置けなくて、食堂でテレビを観ていたんです。僕は普通科の高校に通っていたんですが、下宿先にはほかの高校に通っている人もいて、だいたい工業高校のちょっとやんちゃな人たちがチャンネル権を握っているんですよ。だから、観たい番組が一致すると食堂でそのまま観て、一致しないときは自室に戻る感じで。部屋にいてもつまらないし寂しいから、ラジカセをガチャガチャいじってたら、たまたまTBSラジオの『岸谷五朗の東京RAD IO CLUB』と『宮川賢の誰なんだお前は!?』に出会って、2人の話がものすごく楽しかったんです。そのときですね、ラジオって面白いなと思ったのは。
――そこから一気にのめり込んでいった感じですか?
強烈にラジオが面白いと思ったのは、高2のときに「3年生を送る会」があって、そこに浅草キッドのおふたりがいらしてくれたんです。帰り際に「今度お前らの高校のことをラジオで話すからな」と言うので、本屋さんで番組表を調べたらニッポン放送の『浅草キッドの土曜メキ突撃!ちんちん電車!』だということがわかって。群馬はニッポン放送の電波の入りが悪くて、雑音混じりでよく聞こえなかったんですけど、「この前行った群馬の渋川高校って男子校だったから、もうくせぇのなんの」っていう会話が聞こえてきたんです。その瞬間「あの約束を果たしてくれた!」みたいな、何か自分との秘密の約束をかなえてくれたみたいな気持ちに勝手になって、すごくぞくぞくしたんですね。そこで強烈にラジオって面白いなと思うようになりました。
――ラジオの仕事をするようになったのはどういう流れだったんですか?
今でもTBSラジオでやっている『こども音楽コンクール』という番組があって、大学生のときにその番組で荷物運びとか会場誘導みたいなバイトをしていたんです。とはいえ、ラジオ業界に進みたいと思っていたわけではなくて、卒業後は教師になろうと思って教職課程は一応取っていたんですけど、採用試験に落ちてしまって。ほかにテレビの制作会社を1社だけ受けたんですけど、そこも落ちて。「どうしよう…」ってなっているときに、『こども音楽コンクール』のディレクターから、「ほかの番組も手伝ってよ」と言われて、『伊集院光 日曜大将軍』という番組を手伝うようになったんです。間近でラジオの制作現場を見ていると、出演者とこんなに近い距離で話せるし、リスナーからの反応もすごくダイレクトに来るような感覚があって、つくる側としてもめちゃくちゃ面白い。就職先がなかったので、もうこの場所にしがみつかなきゃと思って、そのまま今に至る感じです。
番組を面白くするということがいちばんの目的
――これまでの仕事を振り返って、大きなターニングポイントだったなと思うことは何ですか?
自分が直接関わってきた中でいうと、極楽とんぼの番組(『極楽とんぼの吠え魂』)と雨上がり決死隊の番組(『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』)が同時に終わったときは、「このままじゃダメなんだ」ということを強烈に思いましたね。
――具体的にどういうところがダメだと思ったんですか?
ラジオって少人数で番組をつくるんですね。パーソナリティがいて、ディレクターがいて、プロデューサーがいて、ADがいて、番組によっては作家さんがいて。あと、生放送であれば技術職のミキサーさんがいるくらい。だから、5~6人いればひとつの番組ができちゃうんですよ。それを何万人、何十万人が聴く。僕はさっき言った2つの番組のディレクターをしていて、ディレクターって放送が始まるとすべてをつかさどるポジションになるんです。なので、番組がよくできた、企画がうまくいったというのも自分の手柄だと錯覚しちゃうところがあるんですね。結果、自意識お化けというか、自己顕示欲もどんどん膨れ上がっていって、この番組はまるで自分で持っているかのような錯覚に陥ってしまうわけです。
――あぁ、なるほど。
ほんとはみんな企画Aをやりたかったけど、僕が企画Bをやりたいとわがままを言って、それを繰り返してしまったから終わったんじゃないか。自分の我というか、自意識というか、そういうものを番組の隅々まで張り巡らせてしまったから終わったんじゃないかと。評価されたいとか、認められたいって気持ちは誰でもあると思うんですよ。ただ、それが前面に出てはいけない。番組を面白くするということがいちばんの目的であって、その結果が自分の評価にもつながっていく。番組が終わったのは不幸なことなんですけど、それがあったから考え方を変えることができましたし、今の自分があるのかなと。
言いたいことを言えるし、素が出せる居心地のいい場所
――ラジオはほかのメディアに比べてパーソナリティの性格や人間性が出ます。パーソナリティの力や魅力についてはどう思っているんですか?
ラジオはほんとにパーソナリティ次第だなと思います。どれだけスタッフがモチベーションを高く保って、「あれやろう」「これやろう」と企画を準備しても、パーソナリティが話す順番を間違えたり、段取りをすっ飛ばしたらもう終わりなわけです。むちゃくちゃお金をかけてビッグゲストを入れたのにトークが全然かみ合わなくて薄っぺらな内容になってしまうのも、結局はパーソナリティ次第。逆にスタッフのほうが全然やる気なくても、パーソナリティの腕があれば番組は面白くなったりもします。だから、「JUNK」に限った話ではなくて、ラジオはパーソナリティによるところが大きいなと思います。
――「JUNK」は錚々たるメンツがパーソナリティを務めています。深夜の生放送は大変ですし、ラジオのギャラは安いなんてことを冗談交じりに言ったりしていますが、それでも皆さん続けているのはなぜだと思いますか?
やっぱりホームというか、居場所になっているというのが大きいのではないでしょうか。ラジオ番組が確固たる自分の居場所にはなるんだと思います。自分たちしかいないから。枷も少なく最も自分を出せる場所だから、テリトリー感が強いような気がします。テレビだと役割が決められていて、発言する時間もラジオに比べたら短い。姿を映しているから見られているという意識も生まれる。そういう番組における担務や意識が絡み合ってほんとの自分を出しにくい状況って多いと思います。でも、ラジオってしゃべっている姿は見せなくて済むし、役割みたいなものも大してないじゃないですか。だから、言いたいことを言えるし、素が出せる居心地のいい場所という感覚があるから、安いギャラでもやっていただけるのかなと(笑)。
――ほんとそうですね!
宮嵜 「自分の場所」という感覚はリスナー側にもあると思うんですよ。ラジオを聴くときってだいたいひとりじゃないですか。だから、番組やパーソナリティと共犯関係のような輪も生まれる。物理的ではないけれど、そうやってラジオが居場所をつくってくれる。生放送なら時間の共有もできる。しかも、耳だけ空けておけばいいから、家事をしながら、通勤・通学しながら、運転しながら聴いてもいい。何かしながらだと映像は見られないけど、ラジオは聴ける。リスナーにとっても身体的・心理的に無理のない状態で聴けるラジオはラクだと思うんです。楽しくて夢中になれる場所でもあり、安心していられる場所でもある。それがラジオの魅力のひとつなんだろうなと思います。
「ラジオだからこそ
届くものがあると信じています」
――仕事をしていて楽しいと感じるときはいつですか?
「JUNK」の場合だと、ブースの中にパーソナリティがいて、サブ(副調整室)にディレクターとミキサーがいて、僕はその後ろで立って聴いているんですけど、本番2時間のうち、だいたい7~8割は笑っているんですよ。手をたたいて大笑いするときもあります。面白い話を聴いて笑っている仕事ってめちゃくちゃ幸せだなと思いますね。もちろんその裏でいろいろ大変なことはあるんですけど(笑)。
――それを聴いて同じように腹を抱えて笑っているリスナーもいれば、救われたと思うリスナーもいるんですよね。
僕が番組をつくるうえで心がけていることは、ただひとつ、相手の立場に立ってものをつくるということです。だから、誰かを救おうと思って仕事はしていなくて。それ以前にスベらないようにしようとか、そういうことで必死です(笑)。なので、たまたまその人にとっては救いになっているというだけで、今日もリスナーが笑ってくれるような楽しい番組をつくろうと思ってやっているだけ。ラジオは決して特別なものではなくて、日常の中に無限にある楽しみのひとつなんですけど、ラジオだからこそ届くものがあると信じています。僕自身もそうだったように、ラジオが誰かにとっての居場所になってくれたらうれしいです。
『ラジオじゃないと届かない』
TBSラジオ「JUNK」統括プロデューサーのラジオに捧げた25年が詰まった初の書き下ろしエッセイ。ラジオとの出会いから、プロデューサーに
宮嵜守史[著] ¥1,760/ポプラ社
Photos:Teppei Hoshida Composition & Text:Masayuki Sawada
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