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4作目
ソフィア・コッポラ
『SOMEWHERE』
監督/ソフィア・コッポラ 出演/スティーヴン・ドーフ、エル・ファニング、クリス・ポンティアスほか 発売元:東北新社 販売元:TCエンタテインメント DVD¥4,180
©2010-Somewhere LLC
ソフィア・コッポラ監督が、父であり映画監督のフランシス・フォード・コッポラとの思い出をもとに製作したといわれている映画。ロサンゼルスの高級ホテルで暮らす人気スターのジョニー・マルコはある日、前妻から娘のクレオを預かってほしいと連絡を受ける――。フェラーリが何度もコースを周回する映像とフェニックスの楽曲がかかるオープニングが印象的で、今泉監督は『サッドティー』でオマージュを捧(ささ)げている。
誰かにとっては退屈でも、
誰かにとっては特別な映画を
『SOMEWHERE』を初めて観たとき、どこか心が洗われたのを覚えています。自分の中にある、寂しさ、空洞を肯定してもらえたような気持ちになったんですよね。前回取り上げた『20センチュリー・ウーマン』からエル・ファニング続きですが、この映画は何といっても彼女の魅力に支えられていると思います。衣装もどれもいい。
主人公マルコはハリウッドのスター俳優。ある日、ひとりでホテル生活を続ける彼のもとに前妻との子である11歳の娘クレオがやってくる。クレオとふたりで過ごす時間、そしてまたひとりに戻るまでを描いたミニマムな映画です。
クレオがいる瑞々(みずみず)しい時間も尊いのですが、この映画の主題は彼女が登場するまでの時間に表れていると思っていて。マルコは、ホテルの自室に呼んだ女性のポールダンサーを眺め(とてもシュールで長い映像)、朝起きて、顔を洗って、ベランダでタバコを吸って、カフェでお酒を飲んで、ベッドに横たわる。映画はそんなふうに彼の生活を淡々と映し出していきます。それはある意味すごく退屈で、寂しくて、空虚な様子です。スター俳優を主人公に据えるなら、表舞台で活躍している姿を描くこともできたはず。でも、たとえ彼にそうした華やかな一面があったとしても、その前にひとりの人間としての生活があるのは変わらない。
もちろん、決して物質的に貧しいわけではないし、置かれている境遇からしたら贅沢(ぜいたく)なのかもしれない。しかし、彼の心が満たされているわけではなく、寂しさや空虚さがずっと漂っている。そこがこの映画の一番の魅力です。また、ソフィア・コッポラは主人公の「表側」よりも徹底的に「裏側」にカメラを向けています。俳優として演技をしている場面ではなく、特殊メイクのための顔の型取りをしている姿や、どうやら何かあった女性とのやりとりも基本的に事後の関係性で描いていく。終盤、マルコやクレオが涙を流す感情的な場面もあるのですが、それが浮いているわけではなく、場面ごとの小さな寂しさや虚(むな)しさ、そういう感情が積み重なった結果としての描写にきちんとなっている。
時間の表現としては、ギプスを使って、娘と過ごす尊い時間、そして、癒えない心が永遠ではないことを暗に示したり、ファーストカットの少しいじわるな長さで「これはテンポのいい映画ではないですよ」と提示したりしている。「耐えられない人は耐えられない映画ですよ」と。映画の冒頭ってそういう〈映画の体裁の提示〉みたいな意味合いもあるんです。
特に好きな場面は、父マルコとある女性が一夜を共に過ごしたであろう朝に、クレオを交えて3人で朝食を食べるシーン。あのときのクレオの表情がこの映画で一番好きです。
寂しさや倦怠(けんたい)を描くこととオフビートは相性がいい。自分もそういうものをつくりたいです。誰かにとっては退屈でも、誰かにとっては特別な映画を。
次回は『ダウン・バイ・ロー』。
今泉力哉
1981年生まれ。2010年『たまの映画』で長編監督デビュー。2019年『愛がなんだ』が話題に。その他に『アイネクライネナハトムジーク』『his』『あの頃。』『街の上で』『かそけきサンカヨウ』『猫は逃げた』『窓辺にて』『ちひろさん』など。この秋公開の最新作に『アンダーカレント』がある。
Photo:Masahiro Nishimura(for Mr.Imaizumi) Composition:Kohei Hara
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映画監督 今泉力哉のオフビート映画に惹かれて