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第3回
写真には収まりきらない体験がある!
美術館で作品の写真を撮ることが一般的な行為になりつつあります。金沢21世紀美術館は、レアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」など写真を撮りたくなる作品も多くあるので、撮影に来る方はたくさんいます。美術館で「撮影OK」と表示があることも増えましたよね。
作品を撮影する人が増えるのは、広報の面でいいことがたくさんあります。タグ付けされれば場所や時間も超えて見てもらえるので、今だけでなく後の世代に向けての広報にもなるんです。アップされた画像を見て「展示のここにフックがあったんだ!」と気づくことも。同じ展示を見ても人によって違う視点があって、面白いですよね。
ただあまりに、鑑賞者が作品の写真を撮っていることが多いので、そのことを前提としていない作家自身が、作品の作り方そのものを考え直さなければと話しているのを聞いたことがあります。それは作家だけに任せずに、キュレーションや美術館側が考えるべき問題なのかもしれません。
今、パブリックな場である美術館でキュレーションをするにあたって、鑑賞者が作品を撮影することは避けられない視点です。鑑賞者にはこの空間でこんな写真を撮ってほしい、それが世の中に出ることでもっと多くの人に興味を持ってもらえるのでは、とかをやはり考えますね。でも、自分のスペースで展示を企画しているときは、撮影されることについて考えたことがなかったんです。ターゲットが異なるということもあるけれど、その場で体験してもらうことを重視しているので。
僕個人としては(リサーチ目的の場合は別ですが)、鑑賞中に作品を撮ることはしません。なぜなら、写真を撮ると「展示を体験している」という身体感覚が途切れてしまうから。僕は趣味で写真を撮るんですけど、写真を撮ることとそれを実際に体験することは、全然違う。写真を撮影することに最適化すると、作品を体験することに集中できなくなってしまうのが嫌なんです。
「写真を撮る」という判断をするものって、ある程度忘れてもいいってどこかで判断していると思うんです。鮮明に覚えているものって、その体験に没入していて写真は撮っていないことが多い。だからこそ写真には残らない、記憶に残る体験をつくることが、すごく大事になるんじゃないでしょうか。
写真を撮ってもその中に収まりきらないような作品について考えて浮かんだのは、荒川修作とマドリン・ギンズによるものです。彼らの作品がある岡山県奈義町現代美術館は、昨年亡くなった建築家の磯崎新が作った場所。インスタレーションと空間が一体化していて、建築自体が作品のために存在するんです。行ったらもちろん写真はたくさん撮るんですけど、丸い壁や床に身体感覚がバグって、写真には絶対に収まりきらない体験がそこにはあります。もうこうなると写真撮ろうが撮るまいがどっちでもいいやみたいな(笑)。
前回お話ししたSCAN THE WORLDのルールの引用なんですが、まずは注意深く、作品やその場所を見てみてください。それから写真を撮ると、より鑑賞と撮影の解像度が上がると思います。ぜひお試しください!
奈義町現代美術館は、3組の芸術家に巨大作品をあらかじめ制作依頼し、作家と建築家・磯崎新が話し合い、その全体の空間を美術館として建築化したもの。建築家と芸術家が共同制作し、作品と建物が一体化しているという点で、未来の美術館の方向のひとつを指し示すものといえる。併設される図書館も必見。
美術館外観
月《HISASHI–補遺するもの》/岡崎和郎
太陽《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》/荒川修作+マドリン・ギンズ
©1994 Estate of Madeline Gins. Reproduced with permission of the Estate of Madeline Gins.
Nagi MOCA奈義町現代美術館
住所
岡山県勝田郡奈義町豊沢441
営業時間
9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日
毎週月曜(祝日の場合は開館)および祝日の翌日
髙木 遊
1994年、京都府生まれ。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修了、ラリュス賞受賞。The 5th Floorキュレーターおよび金沢21世紀美術館アシスタントキュレーター。現在担当している「SCAN THE WORLD」展(金沢21世紀美術館)は3月19日(日)まで!
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キュレーター髙木遊のアートってサイコー!!