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映画監督の今泉力哉が、毎回ひとつの映画のワンシーンにフォーカスし、「映画が面白くなる秘密」を解き明かす連載。
9作目
ニコラス・レイ、ヴィム・ヴェンダース
『ニックス・ムービー/水上の稲妻』
監督/ニコラス・レイ、ヴィム・ヴェンダース 出演/スーザン・レイ、ティモシー・レイほか U-NEXTで配信中
©1980 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH
『街の上で』のカフェの場面でも話題にあがる、ヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』。これに役者として出演しているニコラス・レイ(愛称:ニック)は、『大砂塵』や『理由なき反抗』などで知られる1950年代に活躍したアメリカの名監督。1979年、ヴェンダースは親友であり敬愛するニックと共同で映画を撮ろうとするが、このときがんに蝕(むしば)まれていたニックの病状は、撮影が進むごとにどんどん悪化していく…。
映画が面白くなる秘密
「映画を撮ることの残酷さを知る」
大学の卒業論文って大変ですよね。私はジョン・カサヴェテスを題材に書いたのですが、彼の息子であるニック・カサヴェテス(『きみに読む物語』などを撮った、彼もまた映画監督)の“ニック”は、ニコラス・レイという尊敬する名監督の愛称からつけたのではないか、という、ただの仮説と妄想で締めくくるお粗末なものでした。
このニコラス・レイ(以下、ニックと呼びます)はいろんな監督に影響を与えたらしいのですが、例えばジム・ジャームッシュは、彼が大学で教えていたときの生徒だったのだとか。一時期、ジャームッシュはニックのアシスタントをしていたそうです。
そんなニックががんで亡くなる直前まで撮られていたのが『ニックス・ムービー/水上の稲妻』というドキュメンタリー映画です。監督はヴィム・ヴェンダース。ヴェンダースもニックを熱烈に慕っていたひとりで、『アメリカの友人』という作品にはニックを俳優として起用しています。
『ニックス・ムービー』はとても不思議な映画で、がん闘病中のニックとそれを見守るヴェンダースを映像に収めながら、普通画面外にいるはずのスタッフや機材もメタ的に映していたり、現実と虚構が入り交じっています。明らかにフィクションとして差し込まれた描写もあったりして、これをただ真実だけが描かれたドキュメンタリーとして見ると少し驚くかもしれません。
この映画のいちばん興味深いところは、病状が悪くなっていくニックの姿を見て「こんな状況で映画を撮り続けるべきなのだろうか」と葛藤するヴェンダース自身の内省的な想いを強く浮き彫りにしていくところ。特に印象に残るのは、体調が急変して病院に運ばれたニックを前に、ヴェンダースが「この映画が君を殺すかも」と不安をあらわにする場面です。これって別に大げさに嘆いているわけじゃなくて、実際、余命いくばくもない人を被写体にして映画を撮るってそれくらい残酷なことだし、撮る側と撮られる側に相当な覚悟がないとできないことなんですよね。
でも、なぜヴェンダースは創作について悩む自分の姿を映画の中に残すという選択をしたのでしょうか。それはある種、格好の悪い姿のはずです。編集時に切ることだってできたはず。これはあくまで想像ですが、きっとニックがこれだけ生身をさらけ出しているから、ヴェンダース自身もその本音、心の内を残すしかなかったんだと思います。とは言いつつ、同じシーンで「きれいに見せようとしている」とニックの演技にダメ出ししたりもしていて、「おい! やめとけ、ヴェンダース!」となったりもします(笑)。死にかけている相手にですよ。すごいです。
危険があるとわかっていても、それでも撮るってなんなんだろう。そんなことを考えさせられる映画です。特にこれから映画を撮ろうとしている学生の方とかに観てほしいなと思います。
次回は、今回の映画とぜひセットで観てほしい、ジョン・ウォーターズの『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』。
映画監督 今泉力哉
1981年、福島県生まれ。2010年『たまの映画』で商業監督デビュー。2019年『愛がなんだ』が話題に。その後も『アイネクライネナハトムジーク』『mellow』『his』『あの頃。』『街の上で』『かそけきサンカヨウ』『猫は逃げた』を発表。11月4日に主演・稲垣吾郎の『窓辺にて』が公開予定。
Photo:Masahiro Nishimura(for Mr.Imaizumi) Composition:Kohei Hara
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