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豊田裕大がメンズノンノモデルになったのは2019年、ハタチのとき。3歳からバスケ一色の人生を送りプロを目指すものの、高校で人生最大の挫折を経験。軌道修正を図るべく目指したのは、なんと役者! 自称「根っからのネガティブ」ながら次々と目標を達成し続ける、その原動力に迫る。
物心ついたときから、
ずっとバスケをしていました
「生まれは神奈川県小田原市。姉と兄がバスケをしていたので、週末は体育館でバスケ観戦が定番。ごく自然な流れで、3歳のときにバスケを始めました。5個上のお兄ちゃんを超えたい! というライバル心からどんどん熱中していって、小学生の頃にはプロを目指していましたね」
「高校はバスケ推薦で入学し、静岡で寮生活がスタート。まさにバスケ一色だった僕の人生の転機が訪れたのは、このときですね。それまでは、自分で言うのもなんですが、そこそこ強い選手として認められてきたんですよ。でも全国から集められた選手たちとプレーするなかで自分の力不足が浮き彫りになり、頑張っても頑張っても、次から次へと超えられない壁が現れて……燃え尽きちゃったんです」
「そこでふと我に返ったとき、自分で人生の選択をしていないことに気づいて。バスケを始めた瞬間から、周囲に求められるがままに育ってきてしまったんです。上のふたりが反抗して怒られる姿を見て育ったので、言うことを聞いておけば間違いない、という思い込みもあったのかな。大学もバスケを続けるつもりで入学したけど……頭の中は、もっといろんなことがしたい! という気持ちでいっぱいでした」
表現する人ってかっこいい!
急に降りてきました(笑)
バスケ推薦で東京の大学に入学するも、すでにバスケへの熱意は消滅状態。日々“自分はこれから何がしたいのか”を自問自答するうちに、突然、役者という選択肢が浮上する。
「なぜかサラリーマンとして働いている未来がまったく想像できなくて。じゃあどうやって生きていこう? と考えたときに、ふと、表現する人ってかっこいいな! と思い立って。表現する仕事を突き詰めて出た答えが、役者だったんです。特段ドラマや映画が好きだったわけでもないのに、不思議なんですよね」
「でも役者はなりたいと言ってなれる職業じゃないし、なり方もわからない。自分を客観視したときに、とくにスタイルが良いわけでも雰囲気があるわけでもないし。運良く芸能事務所に所属できたとしても、芸能界に潰されてしまう! と(笑)。……僕、根っからのマイナス思考なんですよ。役者を本気で目指すなら、なんらかの確約というか保険が欲しくて。そこでたどり着いたのが、メンズノンノモデルオーディションでした」
メンズノンノに認められれば、
チャンスはある!
当時の豊田にとって、「メンズノンノ=若手俳優の登竜門」。「メンズノンノに認められれば俳優として花咲くチャンスがあるかも」という想いから、オーディションを志すようになる。
「メンズノンノモデルを目指すならおしゃれにならなきゃ! と、ずっと憧れていた美容室『OLTA』の後藤さんにカットを予約しました。終了後、後藤さんから“SNS用の写真を撮らせて”と言われ、これが東京か! と興奮しましたね(笑)。思い切ってメンズノンノのモデルオーディションを目指していると伝えたら、まさかの“次のメンズノンノのヘアカタで、モデルをしてみない?”というお誘いが……!」
「半信半疑だったので(笑)、実際に連絡が来たときの嬉しさは半端じゃなかったです。奇跡的にメンズノンノデビューを果たした次の号からオーディションの募集が始まり、これは受けるしかないっしょ!! と意気込んで応募しました。改めて振り返ると、ヘアカタに載れたことで自信がつき、すごくいいスタートダッシュが切れた気がします。後藤さんにはそれ以降もずっとお世話になっていて、いろいろと相談に乗っていただいているんですよ」
バスケで培った筋肉を落とし、
11キロ減量
幸運に背中を後押しされ、オーディションに応募。バスケ人生で培った筋肉を落とすために肉体改造に勤しむなど、約半年もの期間をオーディションのみに専念したとか!
「大袈裟じゃなく、毎日メンズノンノのことばかり考えていました。一番頑張ったことは肉体改造。バスケのために筋トレなども行っていたから、当時は筋骨隆々で。高校のときにかじっていた栄養学の知識を生かして、たんぱく質を控えたり有酸素運動を増やしたりして、73キロから62キロまで落としました」
「毎日、合格者として名前を呼ばれる場面をイメージしていましたね。応募から合格発表まで5カ月くらいあるんで……ポジティブでいないと心が持たなかったんですよ、僕の場合(笑)。第一審査、第二審査と通過するたび安心するのと同時に、ここで落ちたらどうしよう、という不安も大きくなっていって。ファイナリストまで辿りついた時は、心底ほっとしました」
両親に打ち明けるために
高級寿司屋を予約
しかしその時もうひとつ、最大の不安が。実はバスケットボールを辞めたことも、メンズノンノのモデルオーディションに応募することも、両親に伝えられぬまま独断で決行していたのだ。
「両親には合格してから報告しようと思っていたんですよ。それなら落ちても責められないし、何よりも、怒られることが怖かった。でも(『OLTA』スタイリストの)後藤さんから“これまで応援し続けてくれた両親に失礼だよ”と言われ、ファイナリストに選ばれたら伝えると決心しました」
「殴られないシチュエーションを考えて、高いお寿司屋さんを予約(笑)。報告だけでなく、二十歳まで育ててくれた感謝の気持ちも伝えたかったので……ありったけの現金を持参して、これで出せる限りの料理をお願いします! と予約しました。おかげで厳格な父もしぶしぶ受け入れてくれ、殴られることも怒られることもなく終了。“まあ、どうせ落ちるだろう”と嫌味を言われるだけで済みました(笑)」
本人もまったく自信がないまま迎えた、結果発表。合格の連絡を受けた瞬間、大声で叫んだとか! 「自分が図書館にいることも忘れて大声で叫んでましたね(笑)。あれほど無我夢中で喜んだの、人生で初めてじゃないかな。すぐさま両親に電話して伝えたら、母親も叫びながら喜んでくれて、父親からは“がんばれよ”と喝を入れられました。誇らしかったですね」
モデルになって感じた
“人生ってこんなに楽しいんだ!”
念願叶って、正式にメンズノンノモデルとして誌面デビュー。それまでの“イメトレ”の成果あって、モデルとしての仕事に驚きやギャップはほとんど感じなかったとか。
「オーディション中に散々、モデルになった自分や撮影現場を想像していたので……むしろ、ほぼ想像通りなことのほうが驚きでした(笑)。もちろんまだまだ勉強途中だし、課題はたくさんあります。例えば、僕は顔が強いからアンニュイな表情を作るのが難しいんですよ。表情のニュアンスのバリエーションを増やすことから、洋服を生かすポージングなど、日々意識して学んでいます」
「ただ、それを大変だとか辛いとか思ったことは1度もなくて。これまでバスケしか知らない人生を送ってきたから全部が新鮮だし、新しいことを学ぶのがとにかく楽しいんです! こんなに人生楽しいんだ! って感動するくらい楽しい。語彙力が少なくてすみません(笑)。だから逆に怖いんですよ、この楽しさを失うことが。いつか壁にぶつかる日はきっと来るだろうから……そのときくじけないためにも、今の気持ちを忘れずにいたいですね」
好きなことだから、
努力も成長もできる
メンズノンノモデルになって早2年が経過。もっとも印象に残っている撮影は、デビュー半年後に飾ったヘアカタログ企画の扉ページだと言う。
「サロンモデルとしてヘアカタに出させていただいたとき、“次はメンズノンノモデルとしてヘアカタの表紙を飾りたい”と宣言していたんですよ。それが翌年、叶ったんです! しかもお世話になった後藤さんのスタイリングで、写真の仕上がりもいい感じで……最高の気分でしたね。めちゃくちゃ嬉しかった!」
「それから、12月号(2021年11月9日発売)の巻頭ファッションページも! ずっと出たかったので、ひとつの夢が叶いました。こうやって日々いろんなことを積み重ねることができるのも、自分の“好き”“楽しい”という気持ちに素直に従っているからこそだな、と実感しています。無理だったり嫌なことを強制的に続けていると、努力も成長もできないので。それを学べたという意味では、高校時代の挫折はすごく有意義でしたね」
事務所選びに不安ばかりで、
駆け引きしました(笑)
モデルデビューから約1年が経ったとき、本来の目標であった役者としての始動を意識するように。芸能事務所を検討するなかで、『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演したトップコートの社長、渡辺万由美氏に共鳴し自ら志望。しかし面談を担当した現マネージャーからは、「生意気な印象を受けた」というタレコミが……!
「わざとです!!(笑) イエスマンないい子キャラを素直に出しちゃうと、“言えば何でもやるヤツ”と思われるんじゃないか!? と不安になって。手に負えないタイプだと思われたほうが、意見を尊重してもらえそうだなと思ったんですよ。正直トップコートは僕にとって雲の上の存在だったし、心の中では“僕なんかが大丈夫かな”と緊張してブルブル震えてましたから! 生意気にも駆け引きってやつをしてみたんです」
「すぐに全部バレたんで、意味なかったんですけどね(笑)。ありがたいことに2次面談の連絡をいただいたんですけど、自分のなかですぐに決断ができず1カ月ほど待っていただいて。その後も迷いに迷い、入所を決めるまでに5カ月ほどかかりました。以前の僕だったら、自分に自信がなくて早く決断していたと思うんですけど……でも一世一代の決断だし、徹底的に考えようと。今後の自分のホームになる場所だから、こんな自分を受け入れてくれる場所じゃないと結局ダメになってしまうような気がしたんです」
初のオーディションで
ドラマデビューが決定!
今年5月に入所が決定し、なんと初めて受けたドラマのオーディションで役をゲット。それが、現在放送中の『じゃない方の彼女』後川誠役だ。
「その前にCMのオーディションを2回受けたんですけど、全然うまくいかなくて。ただでさえあがり症なのに、次こそ絶対に受かりたい! というプライドも加わって、めちゃめちゃ緊張しましたね。当日は、自分でできる限りの準備をして向かったら、監督から予定になかったアドリブの演技を求められて。え? 聞いてないんですけど! と軽くパニックになりました(笑)」
「でも、やるっきゃないんで……自分の感覚を信じて必死に対応しました。そんな展開だったから “うん、次だな。次を頑張ろう!”と早々に諦めていたので(笑)、合格の電話をいただいたときは心底驚きました。でも自分の感覚で役を勝ち取れたことは、大きな自信につながりましたね。自分らしくやりたいけど、このまま落ち続けたら考えを改めなきゃいけないな、とか色々考えていたんで。すいません、ネガティブなんで(笑)」
監督の指導を忠実にこなすことが
今の僕にできること
そうして迎えた初めてのドラマ撮影。「ほぼ想像通りだった」メンズノンノの初撮影とは打って変わり、不安ばかりだったとか。
「まず人数の多さが半端じゃないんですよ。キャスト、スタッフさん含めてめちゃめちゃたくさん人がいて、それだけで圧倒されました(笑)。業界用語もわからないし、でもひとつひとつで立ち止まってしまうと周りに迷惑をかけちゃうので、なんとなく流れに身を任せていました」
「2日目だったかな。わけがわからずにいる僕を見かねた監督が、“お前はまだ新人なんだから、他のキャストと話す暇はないんだ”と、ひとりでテストを繰り返して自分の中に叩き込む、台詞ひとつひとつにこもった感情を考えて表情と佇まいを再現できるようにする、など、現場での過ごし方を教えてくださって。以降、それを忠実に行うようにしています」
いつか芝居を超楽しい!
と思えるようになりたい
今は「正しい演技ができているかどうかは考えても無駄だから、とりあえず自分ができる最大限のことをすることに集中している」と言う豊田。果たして、初出演作を見たときの感想は?
「放送はしっかり見ましたよ、オンタイムで! 感想は……“おお、テレビに出てる!”(笑)。演技に関してはだいぶひどいと想像してたんで、見れなくはない程度にできていたなと(笑)。一番驚いたのは、反響の多さですね。SNSでたくさんメッセージをいただいたし、昔の友達からも連絡が来たりして、テレビの影響力ってすごいんだな〜と感動。せっかくこれだけ多くの人に注目していただいているのだから、もっと頑張らなきゃ! と気が引き締まりました」
「まだ芝居を楽しめるような余裕はないので、早くそうなりたいですね。そのためにも本作品をしっかりこなして、次につながるような結果を残したい。自分で手応えを感じられてこそ、心の底から楽しめるようになるような気がするので。たくさんの現場を重ねて、超楽しい! と思えるようになったら最高だなぁ」
モデルとしての見せ方が
ドラマの現場で生きている!
「ドラマの現場はめっちゃ楽しいですね。あとは芝居だけ!」と充実した日々を語るも、「不器用なんで、いろんなことを同時進行で行うのが苦手なんですよ。学業とモデルと役者の両立は、たまにしんどいっす」と弱音をもらす場面も。
「今4年生なんで卒業がかかってるんですよ(汗)。4年間で一番大変な時期に役者デビューが重なったのは、ちょっと悔しいかな。本当は100%仕事に専念したいけど、それができないので。芝居を上達させるために1日1本は映画を観るようにしているので、移動時間を使って観たり。残り数カ月なんで、この勢いで乗り切ります!」
「モデルとしては、少しずつですが、役者として学んだことが活かせているんじゃないかな。ドラマ撮影を通してよりいろんな表情を練習するようになって、冷たい表情ひとつにもバリエーションが出せるようになってきた気がしています。反対に、モデルとして培ってきた“見せかた”も役者として生きていますね。唯一無二の存在感が身についてない僕は、美しくあることも大切だと思うので。佇まいの作り方や自分がより映える角度など、モデルを経験していなかったら知りませんでしたから!」
人と比べず、自分を伸ばして
自分の道で生きていきたい
メンズノンノモデルオーディションに合格し、メンズノンノモデルとしてヘアカタの扉を飾り、役者になる。大学1年で立てた目標を、まるっとそのまま見事に達成。まさにトントン拍子で進んできたこの2年を振り返り、感じることは?
「トントン拍子に進んでる感覚はまったくないです! バスケ命でやってきて挫折したので、この先に挫折する可能性はいくらでもありますから(笑)。ただ挫折を乗り越えた経験のおかげで、失敗を恐れずにいられるのはメンタル的に大きい。失敗しても軌道修正が可能だと、身を持って体験したので」
「メンズノンノの先輩がたや同期を見渡しただけでも、僕より若くして活躍している、すごい人たちばかり。上を見たらきりがないので、なるべく比べないようにはしていますね。誰かを超えるというより、自分が表現したいものを表現して認められたい、という意識が強いんです。自分を伸ばして自分の道で生きることが、一番の幸せだと思うんです」
「メンズノンノの現場でも芝居についていろいろ聞きたいんですけど、役者の仕事についてフランクに話すタイプが少ないんですよね! 僕は悩んだらすぐに口に出しちゃうんですけど、メンズノンノモデルはそういうことを内に秘めたいというか……個人で向き合ってる人が多い印象。意志が固くて、かっこいいな〜と憧れます。だから僕も見習って、まずは自分で答えを探す努力をしています(笑)」
最後に、これからの“有言実行プラン”を聞いてみた。
「役者としては上質なラブストーリーに出ること。最近よく韓国ドラマを観ているんですけど、『愛の不時着』とか、すごくキレイだな〜って感じるんですよ。うまく言葉にできないんですけど……人間くささとピュアな感情のバランスが素敵なんです」
「モデルとしては、役者として学んだことを生かしてメンズノンノに恩返しがしたいです。メンズノンノは僕にとって原点で、今の僕を作ってくれた場所。撮影のたびに刺激やワクワクをいただいているので、誌面を通して、僕がそれを読者の方たちに伝えられるような存在になりたいです!」
豊田裕大(とよだ・ゆうだい)●1999年4月10日生まれ、神奈川県出身。トップコート所属。2019年、第34回メンズノンノモデルオーディションでラボ シリーズ賞を受賞し、専属モデルとなる。現在放送中の『じゃない方の彼女』(テレビ東京系)でドラマデビューを果たす。
Photos:Teppei Hoshida Hair&Make-up:Yasushi Goto (OLTA) Composition & Text:Ayano Nakanishi
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