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さて、少し間があいてしまいましたが……今回は、第1回でも取り上げた「新版画」の系譜に連なる、川瀬巴水(かわせ・はすい)という人物を紹介します。光と影の表現が見事な、彼の風景木版画。その作品をさっそく見ていきましょう! そして今回も、是非足を運んでもらいたい展覧会の情報アリ。見逃さないでください!
『東京二十景』《馬込の月》1930(昭和5)年/渡邊木版画舗
巴水ってどんな人?
川瀬巴水が生まれたのは、1883(明治16)年。ここでも紹介したことのある、美人画の大家、伊東深水(いとう・しんすい)と同じく、鏑木清方(かぶらき・きよかた)の門下で画業の研鑽を積んだ人です。年齢は深水よりも15歳ほど上ですが、先に木版画にめざめたのは深水の方でした。
巴水が木版画を手掛けるようになったのは、彼が35歳の時。そのきっかけは深水の作品でした。清方の弟子たちによる展覧会、「郷土会」で目にした「近江八景」という深水の木版画に心を奪われ、当時深水がタッグを組んでいた版元、渡邊庄三郎のもとで版画制作を始めます。
渡邊庄三郎とは、江戸時代に盛んだった浮世絵を摺る木版画の技術を、大正時代ならではの形でふたたび広めようとした人物。当時の日本は海外からの石版画技術などの流入により、木版画の人気が衰えていました。そんな中で、深水や巴水といった日本画の名手を集め、自らのもとで彼らの木版画を制作していったのです。
庄三郎のもとでは、それぞれの絵師が得意分野の作品を担当するようなかたちで、木版画が作られていきました。巴水なら風景画、深水なら美人画、他に役者絵を手掛けた名取春仙(なとり・しゅんせん)といった人物がいます。この「新版画」というジャンルは近年世界的にも注目が集まっている作品群の一つですが、私たちがよく目にする江戸時代の浮世絵とはまた違う雰囲気をもっています。是非一度、実物を見てみてもらいたいです! あのスティーブ・ジョブズも、新版画を愛したことで知られているんですよ。なかでも巴水作品は、彼に大きな影響を与えたといわれています。
関東大震災と巴水
1923(大正12)年におこった関東大震災の時、巴水は自らのスケッチをはじめ、積み重ねてきたすべてを焼失してしまうという、大変ショッキングな出来事に見舞われました。
ここでちょっと想像してみたいんですが、もし私がそんな目に遭ったら、たぶん腐ってしまうと思うんですよね。もうどうにでもなれ!って思う気がする。でも巴水は違いました。
もともと、日本各地を旅することが大好きだった巴水。庄三郎の勧めもあり、震災後に人生でもっとも長い、102日間の旅に出ます。北は秋田から、南は熊本まで。画業に対する彼のあくなき探求心には、目を見張るものがあります。
『東京二十景』《馬込の月》
さて、この作品はその名の通り東京の風景を描いていますが、馬込とは、今の大田区馬込のことです。作品が出版された1930年は、関東大震災から7年後のこと。長旅から帰ってきた巴水は、全国のさまざまな風景を『日本風景選集』などの作品集にまとめました。その後、馬込に引っ越したのがちょうど1930年だったんです。つまり、彼にとって身近な風景を描いたということがわかります。
大きくそびえたつ木は、「三本松」と呼ばれていた松の木です。今はもう存在しませんが、なんと大田区にはいまだに「三本松」というバス停が! 調べてみたら近くの公園の名前にも入っていました。もとはといえば、江戸時代に農民が伊勢参りから持ち帰った松の小木を、ここに植えたのがきっかけだったそう。こんなに大きく育ったこともあり、人々に知られる木でした。
私が思う巴水作品の魅力は、きれいな光の表現です。沢山の風景版画を残した彼ですが、特に夜明けや夕暮れ、月光などの光を描いた作品が多いんです。昼と夜の間にみられる絶妙な空の色味や、真っ暗な空に浮かんだ煌々と輝く月。《馬込の月》ももちろん例外ではなく、明るい月に照らされた雲とうっすら白んだ空、また画面右下に描かれた民家の灯りが、周りの暗い風景の中でひときわ美しく見えます。
美しい巴水の版画作品を、実物で楽しもう!
そんな巴水の作品を1から10まで網羅できる必見展覧会が、12月26日までSOMPO美術館にて開催中です! 彼の人生とその画業に迫り、風景木版画約280点が一堂に会する機会はなかなかありません。
展覧会について詳細は、こちらのHPをご覧ください▶https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2020/kawasehasui/
最後まで読んでくださり、ありがとうございました! 次回はずっと取り上げたかったあの人がいいな……と思っています! ではまた!
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