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パラアスリートたちの挑戦と未来への可能性にエールを送る「サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト」と、メンズノンノによるコラボレーションムービー第2弾『その応援が、この世界を変えていく』が完成。昨年は車いすバスケ日本代表・藤本怜央選手との“ガチ対決”にチャレンジをした成田が、“応援団長”として日本代表候補の豊島 英選手、藤井郁美選手の熱量あふれるプレーをサポート! ここでは「応援」がもたらすものについて、成田、そして豊島、藤井両選手のコメントもお届けする。
──成田自身、かつてサッカーをやっていた頃に応援によって「プレーに迷いがなくなった」「最後の力を振り絞ることができた」といった経験は?
成田 凌 ありますね。中学2年の県大会決勝の試合終盤、前に行くべきか守備に重点を置くべきかモヤモヤしていたときに、応援に駆けつけてくれていたOBの方々の「凌、前に行け!」という叫び声が耳に届き、頭がパチンと切り替わってゴールを奪うことに集中できました。ときにスポーツは、自分の物差しだけではなく外からのエールやアドバイスが大きな力になることを学びましたね。
──現在、モデルや俳優の仕事の中でそれを感じることは?
成田 スポーツ選手とは違い仕事中に直接そういう応援の声を受け取ることは少ないですが、やはり友人や家族、ファンの方々が応援してくださっていることは、ふとしたときに強く感じます。どんなに忙しくても「ああ、明日また頑張ろう」と思える原動力ですね。
──昨年の藤本選手とのマッチアップに続き、今回のムービーも車いすバスケットボール日本代表候補との共演。二度の撮影を通して、選手たちのプレーから感じたことは。
成田 日本代表としてプレーする覚悟や力強さを肌で感じました。強い意志を持って泥臭くひたむきにプレーするアスリートには独特のオーラがありますし、むしろ応援しているこちら側が勇気をもらえます。
──車いすバスケの試合会場に足を運び、応援する醍醐味は?
成田 バスケに限らず、スポーツの試合会場に入った瞬間にワッと押し寄せてくる熱気と高揚感は何度味わっても飽きません。選手たちのパワーとファンのパワー、両方が交わることで生まれるあの独特の空気は、何物にも代え難いものだと思っています。だからこそ、そんな中で僕らの応援に選手たちがプレーで応えてくれた瞬間は最高の気分になりますね!
──選手のお二人にもお聞きします。豊島選手と藤井選手は、コート上でプレーしながらスタンドからの応援をどのように受け止めているのでしょうか。
豊島 やはり観客が少ない中でプレーするよりも満員のコートでプレーするほうが僕ら選手もモチベーションが上がりますし、勝ちたい気持ちが一層強くなります。プレッシャーよりも楽しみのほうが大きいですね。野次を飛ばされるようなことがあっても、僕は逆に「よし、やってやろう!」って火がつきますから(笑)。特に接戦の試合での応援は力になります。独特のヒリヒリした雰囲気の中で、応援によってさらに集中力が高まるというか。来年の東京パラリンピックでは、会場がドッと湧くプレーをたくさん見せて勝てるように頑張りたいですね。
藤井 たくさんの方が会場に来て応援してくださると、チームそのものに活気が生まれます。私自身も後押しを受けて素直に「頑張ろう」と思えますね。世界選手権などの国際大会では観客のみなさんも競技をよく知っていて、雰囲気作りや盛り上げ方がすごく上手。だから選手たちもノリやすいのだと思います。日本の試合会場もこの先、どんどんそういう風になっていったらいいなと思いますし、そのためにも私たち選手は常にレベルの高いプレーを見せることを心がけていきたいです。
──最後に成田から、車いすバスケの選手たちへ、そしてパラリンピックを目指す他競技のパラアスリートたちへ、“応援団長”としての熱いメッセージを!
成田 車いすバスケの選手のみなさん、そして多くのパラアスリートのみなさん、陰ながら応援しています。各競技のルールを細かく把握しているわけではありませんし、すべての競技を観たことがあるわけでもありません。それでも来年のパラリンピックを機に、たくさんの方が観て、知って、応援する中に僕も必ずいます。浅はかな知識ですみません。でも、応援し続けます。日本のために、みなさんそれぞれの未来と幸せのために、頑張ってください!
1989年福島県生まれ。生後4か月で患った髄膜炎の後遺症により車いす生活となり、中学2年時に車いすバスケを始める。19歳で仙台の強豪宮城MAXに加入して以来、昨年までの日本選手権10連覇に貢献。日本代表では2012年ロンドン、2016年リオと2大会連続でパラリンピックに出場中。WOWOW所属。
藤井郁美 PROFILE
1982年神奈川県生まれ。小学3年でバスケを始め有力選手として活躍していたが中学3年時に骨肉腫によって右膝と大腿の一部を切断。高校進学後に車いすバスケと出会い、20歳から本格的に競技スタート。2008年北京パラリンピックに出場。男女混合チーム宮城MAXの主力として日本選手権10連覇に貢献しながら、女子チームSCRATCHにも所属。
サントリー チャレンジド・スポーツ プロジェクト
www.suntory.co.jp/culture-sports/challengedsports/
Photos:Takemi Yabuki[W] Text:Kai Tokuhara
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