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一度見たら忘れられない強烈なキャラクターと奇想天外なネタで、世のお笑いファンから根強い支持を集めるコンビ・ななまがり。人気芸人の不定期ロングインタビュー企画・第四弾は、そんな二人の生き様にクローズアップ。今年芸歴15年目を迎えた彼らが、芸人を目指したきっかけから、大学での出会い、コンビ結成秘話、芸人としての挫折、ラストイヤーとなった「M-1グランプリ」への想いまで…約2時間かけて、たっぷり語ってくれた。
ななまがりのプロフィールはコチラ!
ななまがり
写真左:森下直人(もりした なおと/1986年05月20日生まれ、神奈川県出身)
写真右:初瀬悠太(はつせ ゆうた/1986年04月05日生まれ、香川県出身)
大阪芸術大学に在学中、落語研究寄席の会で出会い、学内ライブなどで一緒に漫才やコントを行うように。2008年、正式にコンビ結成し、吉本の劇場オーディションに合格し、2012年に看板メンバーとなる。2014年、劇場卒業を機に東京へ。「キングオブコント」や「M-1グランプリ」など賞レースの常連としても知られ、2022年からは優勝に向けた修行として単独ライブ『ななまつり』を開催している。
アーティスト特化型音声配信サービス『Artistspoken』のカルチャー番組「Second ID」で、毎週火曜日(23時〜)の配信を担当。
Xアカウント→森下さん、初瀬さん
公式YouTubeチャンネル:『ななまがりのなんでもやりますチャンネル』
神奈川県出身の森下さんと香川県出身の初瀬さんの出会いは、大阪芸術大学。幼少期から芸人を目指していた二人だが、「自分は間違いなく日本一おもしろい男」と確信していた森下さんに対して、初瀬さんは高校生の時に芸人は向いていないと夢を断念。対照的な二人は、なぜコンビを組むことになったのか。
前編では、彼らがプロの芸人として生きる決意を固めるまでをじっくりと深掘り。上野のアメ横で撮影を行ったポートレートとともに楽しんで。
【インタビュー前編】
対照的なふたりが
ななまがりを結成するまで
好きな番組のメンバーの
一員になりたいと思ったのがきっかけ
ー森下さんは神奈川県、初瀬さんは香川県のご出身。後に大学で出会いコンビを組むお二人ですが、まずは、芸人を目指したキッカケを教えてください。
森下 8、9歳くらいの時かな。夜、子どもなんで早く寝かしつけられるじゃないですか? 隣の居間で両親がテレビを観ていて、襖をちょこっと開けて覗き観してたんですよ。その番組が、“めちゃイケ”(『めちゃ×2イケてるッ!』)の前身の“めちゃモテ”(『めちゃ×2モテたいッ!』)。「俺、この人たちになろう!」と決めて、それから頑固にずっと貫いていますね。
―一途ですね!
森下 昔から、これと決めたら一貫して続ける性格なんですよ。1993年にJリーグが開幕したときも、なんとなく名古屋グランパスを応援すると決めてから今まで全試合、追ってますからね。そもそも、地元の横浜F・マリノスを選ばないことからおかしいし…。
初瀬 僕も小学生の頃から、バラエティー番組にどっぷりハマってて。“めちゃイケ”、“ウリナリ”(『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』)、“ごっつ”(『ダウンタウンのごっつええ感じ』)などを観ながら、めっちゃオモロいなこの人たち!と。当時は芸人になりたいというよりも、好きな番組のメンバーになりたい感覚でした。
―初瀬さんも、その頃から一直線に夢を追い続けているのですか?
初瀬 それがですね、僕、お笑いと並ぶくらいプロ野球も好きやったんですよ。でもなぜか小学生のときはサッカーチーム入ってて。自分に野球の才能があるかを知るために、まずは挑戦してみようと、中学から野球部に入るんです。友達も全くいないし、迷ったけど、やらんかったら一生後悔する!と勇気振り絞ってね。そしたら僕、守備と投げんのがとんでもなく下手くそで。バッティングだけ得意やったんですけど……もちろん補欠ですよ。野球の才能ないなら、お笑いや!と切り替えた感じです。
―そして、高校でNSC岡山校に入学する。
初瀬 そうです、そうです。僕の地元の香川って、岡山と同じローカルのテレビ局なんですよ。で、『吉本超合金』っていうFUJIWARAさんの深夜番組がめっちゃ好きで。観ながら、「やっぱお笑い、いいなぁ。やりたいなぁ」なんて思ってたら、NSC岡山校一期生募集のCMが流れて。NSC一期生って、大阪やったらダウンタウンさんを輩出してますから。これ行くしかないじゃん!と。当時は部活もせずにバイトばっかしてたんで、高校生にしてはお金があったんですよ。ちなみに大阪と東京のNSCは40万くらいかかるところ、岡山は7万と破格(笑)。しかも日曜のみだったから、高校行きながら通える!とすぐに入学しました。
ー運命的ですね。
初瀬 そこまではね。才能あったら俺はこのまま芸人になるんや!って思って挑んだものの、もう、信じられないくらいスベり続けて。もちろん高校生なんて俺だけで、他は20代でしたから、今思えばスタートのレベルが全然違ってた。でも当時は「俺、お笑いの才能もないんや……」と心が折れまくって、すぐに辞めました(笑)。
森下 初瀬がNSCに通ってたこと、出会ってからだいぶ後になって知りましたからね。隠してたんですよ、ずっと。よほど悔しかったんでしょう。
ーちなみに森下さんは、どんな高校生活を送っていたのでしょうか。
森下 芸人になる人って、全員ある一種のイタさがあると思うんですけど、僕も自分が日本一おもろいってマジでずっと信じてました。ただ、その分、プライドもめちゃめちゃ高くて……友達に、芸人目指してることを言えなかったんです。僕を見る目のハードルが上がっちゃうじゃないですか? 高校生の時はヤンチャな友達が多くて、彼らにイジられて笑いを取るパターンが多かったから。「いや、お前の面白さは俺らありきやろ」「勘違いすんなよ」と言われるような気がして、ずっと心に秘めてましたね。
ーなんだかちょっと切ない気持ちになりました。
森下 親には真剣に芸人になりたいって言ったんですけど、まあ、反対されまして。そっから卑怯な方法をとるんですよ。「お笑いの本場は大阪。大阪なら親や友達にバレずにお笑いの道に進める!」という思考から、大阪の大学を目指すんです。自信だけはあったから、俺なら大阪行ってもすぐに頭角を表すはずやと。
ーNSCではなく、大学に入学したのはどうしてですか?
森下 僕ってお笑いが好きなわりに、全くの無知やったんですよ。バラエティ番組見てただけで、漫才もコントも知らなかった。高2で芸人になるための方法を調べて、初めてネタ作りについて知ったくらいですから(笑)。相方もいないな、どうすんねん、と。でもNSCに入学するなんて友達に言えないし……って考えてたら、ヘイポーさん(テレビ演出家の斉藤敏豪さん)が頭に浮かんで。色々と調べたら、大阪芸術大学の放送学科なら、テレビ業界に就職できるっぽい。万が一、芸人に向いてないってことになったとしても、大卒の学歴があればなんとかなりますしね。
初瀬 僕も、森下と同じような感覚でしたね。NSC岡山校を退所した時点で、芸人になる夢は完全に諦めた。でも、せめて大阪には行きたかったんです。大阪に行けば何らかの形で、お笑いに携われるんじゃないかと。当時、バイト代でお笑いDVDを買い漁ってたんですけど、松本(人志)さんが作った『ヒトシ・マツモト・ヴィジュアルバム』っていう映像コント作品にめちゃめちゃ感動して。芸人の才能はないけど、映像なら可能性があるかもしれない……と、大阪芸術大学の映像学科に進学しました。
当時の森下はチャラくて
話合わなそうやなと思っていました
ー大学入学後、落語研究会(以下、落研)で出会うことに。
初瀬 やっぱお笑いは好きやし、お笑いサークルと言えば落研だよな、と。ただ、自分のことは棚に上げて、おもろい人がいなかったら嫌やなぁ、なんて迷ってました(笑)。落研の新歓ライブがあると知り、万が一おもろい人がいたら入ろう、と見に行ったら、案の定つまらない。何や、これ……と失望してたところに、ミルクボーイさんが登場するんです。
ー同じ大学の1学年先輩でしたよね。
初瀬 そうです、そうです。気づいたら腹抱えて笑ってて、この人らと友達になりたい!と思い、ソッコー入りました。たまにミルクボーイさんの当時のネタを見返すんですけど、今見ても、おもろいっすね。ミルクボーイさんがいなかったら落研入ってないですもん。
ー森下さんも新歓に参加されましたか?
森下 いや。この時は、「今はダウンタウンが一番おもろいけど、それを越えられるのは俺しかいない」と思ってた、激イタ状態だったんで。とりあえず落研には入ったけど、全員ゴミやと思ってました。ミルクボーイさんも。おもろいけど、俺ほどじゃないだろうと(笑)。
ーさすがです(笑)。ちなみに、お互いの第一印象は覚えていますか?
初瀬 チャラいヤツおるな、って感じでした。B系のキャップにダボダボのパーカーとパンツ穿いて、ピアスつけて。しかも茶髪のウルフカット。うわあ、話合わなそうやな、と。
森下 高校時代のヤンチャな友達の影響で、当時はB系のカッコしてたんですよ。
初瀬 “俺はゴミじゃない”っていうピン芸人も同期だったんですけど、一年中タオル巻いて筋トレしてる変なヤツで。そいつの方がよほど芸人っぽいというか目立ってたから、正直、森下には目が行かなかった。こんな変なヤツだとは思いもしませんでした。
森下 僕は、初瀬の顔にカルチャーショックを受けました。当時は今よりも痩せてて、口がニュッと突き出してたんですよ。すごい顔してるな、と。
初瀬 ある日、森下から「お笑いライブやるために僕とコンビ組みませんか?」と落研のメンバーに一斉送信でメールが来たんですよ。遊び感覚でやってみようと返信したら、僕以外の誰も返信しなかったようで、自動的にコンビを組むことになって(笑)。ネタ作りのために集合して、初めて森下とちゃんと話したんですけど……僕の顔をまじまじと見つめながら、「むっちゃ口、ニュッてなってんな!」って。
森下 今思えばデリカシーなかったな。シンプルに、興味津々やったんですよ。横浜にはいない顔でしたから。
初瀬 え、俺ブスなん?と、しっかり傷つきましたよ。そのせいで当分、森下が嫌いでしたもん。
コント知らんヤツの発想だから
めちゃくちゃなのに大ウケするんです
ーそんな出会いから、10年以上の付き合いに。
森下 僕は漫才もコントもわからなかったんで、知識豊富な初瀬に教わりながらネタ作りをしました。そういう意味では、バランス良いコンビやったと思う。なぜか初瀬の言うことは、割と素直に受け入れられたんですよ。
初瀬 最初は漫才から始めたんですけど、信じられないくらいスベり続けました。ミルクボーイさんからも後に言われましたもん、「お前らマジでおもんなかったな、あのとき」って。
森下 落研の身内すら笑わない状態がずっと続いて……あるとき、ネタ作りに詰まった僕が叫び出したんです。「ヴァニラ!」「ジャイアントヴァヴァ!」と、“う”に濁点をつけて叫び続けていたら、初瀬がゲラゲラ笑って。
初瀬 そのとき、コントならいけるんじゃないか?とピンと来たんです。
森下 僕、「コントって何?」って返しましたからね(笑)。初瀬が説明してくれたんだけどイマイチわからず、とりあえず思いつくままにネタを作ってみたら、これが初めてウケた。
初瀬 コント知らんヤツの発想だから、めちゃくちゃなんですよ(笑)。はちゃめちゃな発想を何とか形にしながら披露してったら、どんどんウケ出して。「俺らコント向いてるわ」と、確信に繋がりました。
森下 ようやくミルクボーイさんと張り合えるようになってきたのが、この頃。大学3年生のときだったかな。
初瀬 大阪のインディーズライブのオーディションに受かって、出ることになったんです。吉本の劇場のオーディション受かる手前の人たちが参加するようなライブだったからレベル高くて、僕らより先に出ていたミルクボーイさんですら苦戦してた。そこで僕ら、出場たった2回目で優勝したんですよ。そこからミルクボーイさんと僕らがライバルっぽくなるというか、そもそも漫才とコントでジャンルは違いましたが、お互いに意識するようになった。想定外の展開に僕もどんどん楽しくなり、「俺、芸人としてワンチャンあるんちゃう?」と思い始めました(笑)。
森下 コンビ組んですぐの頃、初瀬に「お前は芸人やりたいんか?」と聞いたら「いや」という返事だったから、僕は内心ちょっと焦ってましたね。相方が初瀬じゃなかったら、ここまでウケてないかもしれない。初瀬が就職の道を選んだら、どうしよう?と。これ、初瀬の前で言ったことがないんですけど……「頼むから“やっぱ芸人なるわ!”って言ってほしい」と、ずっと願ってました。でも本人には素直になれず、「どうすんの、就活すんの?」なんて聞いてましたね。
初瀬 そこで僕が、「腹くくった、芸人になるわ!」と伝えました。映像学科の勉強が楽しめなかったことも大きいですね。好きじゃないことって、やってもやっても頭に入ってこないじゃないですか? ライブも優勝できたし、芸人として頑張ってみてもいいんかな、と踏ん切りがつきました。
ー森下さんは「芸人を続けるなら初瀬さんと」と感じていたとおっしゃっていましたが、初瀬さんは、森下さんに対してどのような感情を抱いていましたか?
初瀬 森下は「誰かっぽい」部分が一切なかったから、オリジナリティという点は、僕も評価していたと思います。だし、こいつ以外とやるって選択肢がなかった。他に誰がおるわけでもないし、「このコンビ信じてやってみるか!」という気持ちでした。
いよいよ芸人になる覚悟を決めた二人。ただ、芸人人生も苦労の連続で……!? インタビューの後編は明日公開予定。お楽しみに。
Photos:Sakai De Jun Hair & Make-up:Miho Emori Stylist:So Matsukawa Interview & Text:Ayano Nakanishi
【森下さん】シャツ ¥57,200・パンツ ¥40,700/ともにレインメーカー 中に着たシャツ(ネズヨウヒンテン)¥30,800/にしのや シューズ/スタイリスト私物
【初瀬さん】コート ¥74,800・中に着たシャツ ¥33,000/ともにレインメーカー その他/スタイリスト私物
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