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失敗が怖い。お金がかかりそう。そんなイメージを抱いて夢を諦めている人、多いのでは? 起業する人は特別だと思ってたけど自分にもできるかもしれない! 僕らの背中をそっと押してくれる、 パルクール指導員・佐藤 惇さんの起業エピソードを紹介する。
正しいパルクールを伝えるべく
日本初の指導員に
Started
パルクール指導員
パルクール指導会社 SENDAI X TRAIN
佐藤 惇さん
profile
1991年生まれ、東京都出身。中学3年のときに独学でパルクールをスタート。国内の仲間と組んだチーム「PKTK」で活動し、テレビCMやMVなどへ出演を果たす。18歳のときに、日本人として初めてパルクール国際指導資格を取得。Instagram→@otonakodomosully
HISTORY
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2001年
テレビで初めてパルクールを目にする
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2004年
パルクールの練習仲間とチームPKTKを組む
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2007年
CM撮影で来日したイギリスのパルクール団体CEOと出会う
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2008年
TBSの人気番組『SASUKE』に初出場
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2009年
ロンドンでパルクール団体のCEOと再会を果たす
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2010年
パルクールの国際指導資格を取得
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2013年
SENDAI X TRAINを立ち上げる
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2022年
東京都パルクール協会代表に就任
パルクールをしているときだけは
生きている実感があった
初めて見たパルクールの映像が
ずっと忘れられなかった
日本人として初めてパルクールの国際指導資格を取得し、さらに、日本初のクラスを設立した佐藤さん。パルクールを知った当時、日本ではほとんど無名のスポーツだった。
「僕がパルクールを知ったきっかけは、小学校高学年の頃にテレビで観たドキュメンタリー番組。身体能力に衝撃を受けて、外遊びをしながらマネした記憶があります。体を動かすことが好きな活発な子どもでしたが、中高一貫校に進学すると、勉強についていけないストレスから不眠症に。体も精神も絶不調の中、ふと小学生のときに見たパルクールの映像が頭に浮かび、YouTubeで検索。映像を見た瞬間ビビッときて、こんなふうに体を動かしたい! という衝動に駆られました」
中学3年のときに独学でパルクールを始めた直後、パルクールの創始者が主演する映画『アルティメット』が公開に。「日本にもパルクールファンがいるかも!」。そんな期待を胸に検索し、ネットを通じて仲間と出会う。
「“パルクールの練習がてら、みんなで一緒に映画を観よう”というスレッドを発見して大興奮。その日に出会った仲間と定期的に練習会を開催するうちに、“PKTK”というチームを組むことに。WEBを作った途端に仕事の依頼が舞い込み、仲間と過ごす時間が急増。学校生活がとにかく苦しいと感じ、パルクールをしている間だけは生きている実感があった僕にとって、パルクールは希望の光そのものでした」
定時制の高校に編入し、PKTKメンバーとして活動の幅を広げながら、ますますパルクールにのめり込んでいった佐藤さん。しかし当時はまだ、仕事になるとは思えなかったという。
「そこで思いついたのが写真でした。パルクール仲間の写真を撮ることにハマっていたのと、パルクールを楽しむ猶予ができる! という下心の半々で(笑)、写真の専門学校に入学。通い始めると、知り尽くした基礎や机上の勉強ばかりで何か違うなと。そんなときに、ロンドンでパルクールのイベントが開催されると知り、迷わず向かいました」
PKTKの活動で得た収入を資金に、単身ロンドンへ。この旅が、佐藤さんの進路を大きく左右する。
「目的のひとつは、イギリスでパルクールのレッスンを行う団体“パルクール・ジェネレーション”のCEO、ダン・エドワーズさんと会うこと。CM撮影で初めて出会ったとき、彼が話してくれた“人間本来の身体能力を引き出し、追求しながら心身を鍛えるもの”というパルクールの神髄を聞いて、概念が一気に壊れる経験をしたのと同時に、すごく感銘を受けたんです。3週間のロンドン滞在中、団体が運営するレッスンに毎日参加し、ようやくダンさんと会えたのは最終日。質問攻めにしたら、“それだけ熱意があるなら、来月始まる国際指導資格コースを受けてみるといい”と提案されて。“はい!”と即答したときには、専門学校のことなどすっかり忘れていました(笑)」
これぞ僕の天職! 指導を体験し本当にやりたいことが見つかった
パルクールの国際指導資格コース1期生として参加。辞書を片手にレッスンを受けるのは簡単ではなかったが、そんな苦労も気にならないほどに楽しく、心身ともに満たされたという。
「自分の考えを言葉で伝える作業から、実際に生徒たちをサポートする役割まで、教える過程の一つ一つが心地いいほどしっくりきた。自分が得意とするものを共有して、人と楽しむことこそ、僕がやりたいことだ! そう確信しました。ちょうどその頃、ヨーロッパでは、危険な動きを繰り広げるパルクールがブームに。危機感を覚えて、日本では僕が信じる安全なパルクールのすばらしさを広めるべく、指導者になると心に決めて帰国しました」
その後、日本でも徐々にパルクール人気が広まり、PKTKへの仕事の依頼が急増するも、佐藤さんは個人指導に専念。そして3年後、練習仲間だった石沢憲哉さんと“SENDAI X TRAIN”を立ち上げる。
「会社の設立について石沢に相談し、正しいパルクールを学ぶ場を子どもたちに提供したいという目標を話したら、“考えてること一緒じゃん!”と予想外の反応が。話せば話すほど意気投合し、一緒に起業することになりました。まずは、子どもの運動教育としてパルクールを広める活動からスタート。パルクールといえば、鉄棒などを組み立てたセットを思い浮かべる人が多いと思うのですが、セットを使う動きはほんの一例。壁にしがみついて横移動するなど、日常にあるものを活用できるので、いつでもどこでも練習できるんです。僕は、母校の小学校に許可をもらって放課後の体育館や校庭でレッスンを行っていました。必ず流行る自信があったけど、最初の半年間、参加者はたったひとり(笑)。1年半後にようやく10人に達し、ホッとしました」
会社の創立から5年がたった、2018年。佐藤さんが高校生の頃から参加してきた人気番組『SASUKE』での活躍をきっかけに、生徒が急増!
「僕が指導者として大切にしていることのひとつは、生徒にとって“ランドマーク”であること。何かを学ぶうえで、“この人みたいになりたい!”と感じる見本や憧れの存在は絶対に必要だと思うんです。目標がないと、キツいトレーニングに耐える理由がありませんから。『SASUKE』に出て、パルクールで鍛えた体で優れた身体能力を披露することは、僕がランドマークであるための手段のひとつ。もちろん、好きだから続けられるんですけどね! 僕を含めて毎年出場している人は身体能力への興味がありすぎる変態ぞろいで、不思議な絆で結ばれています(笑)」
以降、生徒数はぐんぐん伸び続け、指導者は佐藤さんを含め6人に。信念を貫きながら成功を手にした佐藤さんに、その秘けつを聞いてみた。
「好奇心を忘れないことですね。好奇心は原動力であると同時に、自分自身を知るために最も重要なパワー。例えば、楽しそう! という感情をきっかけに行動して経験を積むと、やがて成長につながります。そして成功をつかむためには、“楽しい”“好き”と感じる理由を突き詰めることが必要不可欠。僕が教えることを好きな理由は、人とつながり、お互いに高め合えるから。突き詰めながらアウトプットすれば、自分が何をしたくて、何に長(た)けているかが、より明確になりますよ!」
思い出のアイテム
Photos:Takahiro Idenoshita Composition & Text:Ayano Nakanishi
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