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気候変動の影響で、日本だけでなく、世界各地で異常気象が発生している。このまま放置すれば、水不足や食糧危機などの問題が起き、多くの場所が人間の住める環境ではなくなってしまう。では、どうすればいいのか? 気候変動という人類の課題にスリリングに挑んだ話題の書『人新世の「資本論」』の著者は、その唯一の解決策は脱成長だという。今注目のこの若き経済思想家にインタビュー。
斎藤幸平さん
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。同書は世界6か国で刊行。編著に『未来への大分岐』などがある。
2050年には、世界は相当危機的な状況になる
――著書『人新世の「資本論」』が「新書大賞2021」を受賞し、30万部を突破しました。経済や環境危機を扱った本としては異例の部数です。なぜここまで注目を集めたと思いますか?
この本は、「SDGsは『大衆のアヘン』である」という一行で始まるのですが、それに衝撃を受けたという反響がすごくありました。SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)という言葉が連日、テレビや新聞で流布されている中で、「でも、そんなことで本当に変わるのかな」という違和感がぬぐえなかったのでしょう。薄々気づいていた欺瞞(ぎまん)がこの本によってクリアにわかり、このままじゃいけないと多くの人が気づいてくれたみたいです。「家族や友人にすすめておきました」という声もよく聞きます。そんなふうにして、読んだ人が次の人にバトンを渡してくださって、輪が広がっているようです。
もうひとつの理由は、気候変動の影響が見逃せないほど大きくなってきたことでしょう。どこかの南の島が水没するというような遠い話ではなく、スーパー台風や梅雨の集中豪雨、夏の酷暑など、日本人も気候変動の危機を自分のこととして感じざるを得なくなってきましたから。
――書名にも入っている「人新世(ひとしんせい)」という言葉は、どういう意味なのですか?
「人新世」というのは、地質学による時代区分ですが、意味するところは単純で、地球の表面のあらゆるところ、つまり最新の地層が人間の経済活動の痕跡だらけになった時代ということです。実際、都会のビル群やアスファルトからアマゾンを乱開発した農地まで、経済活動のために人間がつくり出したものが地表を覆っている。北極や南極でさえも、マイクロプラスチックが浮遊しています。
――なるほど。
とりわけ人類の経済活動、つまり資本主義によって飛躍的に増えたのが大気中の二酸化炭素です。ご存じのように、二酸化炭素は気候変動の原因ですが、今の大量生産・大量消費の生活を私たちが続けるかぎり状況は悪くなる一方です。このままいくと、2050年には世界は相当危機的な状況になると予想されています。難民が増え、食糧危機が起こり、戦争も勃発しやすくなる。これが「人新世」の危機です。そうならないために、今私たちは大きな分岐点にいるのです。
経済成長から脱成長へ
――『人新世の「資本論」』の大きな主張のひとつは、気候変動は、資本主義が犯人だ、ということですよね。
はい。利潤を追求するだけで、環境をないがしろにする資本主義というシステムを根本的に変えていかないと、気候危機は解決しません。
――そして、気候危機に対しての唯一の解決策が脱成長だと説いています。
先ほど触れたSDGsが典型ですが、環境の保全と経済成長を両立させようという動きが活発です。でも、その両立は、本当は無理なんですよ。科学者たちが警鐘を鳴らしているように、環境を守るためには脱成長するしかない。経済成長しながら、二酸化炭素の排出量をゼロにすることはできないのです。
だから、政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められない。むしろSDGsは“やっている感”を演出するだけの、アリバイづくりであって、目下の危機から目を背けさせる効果しかありません。レジ袋削減のためにエコバッグを買っても、オーガニックコットンのTシャツを買っても、ほとんど無意味です。それどころか、温暖化対策をしていると思い込むことで、今本当に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうので、有害とさえ言えるかもしれません。
『資本論』を書いたマルクスは、かつて資本主義のつらい現実が引き起こす苦悩を和らげる宗教を「大衆のアヘン」だと批判しました。そういう意味で、SDGsは、環境危機の本当の深刻さから目を背けさせる、現代版「大衆のアヘン」です。今求められているのは、アヘンに逃げ込むことなく、私たち人間の経済活動、つまり資本主義が地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまっているということに向き合い、資本主義ではない社会をめざすことなのです。資本主義ではない社会のほうが、実はより豊かに幸せに生きていけるんだ、ということも、『人新世の「資本論」』の大事な主張のひとつですが、このこともいろんな人に共感し、納得してもらえました。利潤のために働くのではなく、本当の豊かさを追求する。そういった新しい社会をみんなでつくっていきたいと思っています。
――でも、資本主義のおかげで便利にもなったし、安い服や食べ物も手に入るようになったのでは?
もちろん今の日本では、ハンバーガーや牛丼が100円とか300円で食べられる。このことをラッキーと思っている人は多いでしょう。安いシャツを買って、気に入らなければすぐに捨てるというのも“気楽”です。
しかし、大量消費・大量廃棄を繰り返す経済から手を切らないと、私たちが生きている間に地球は住めない環境になっていきます。将来だけでなく、今この瞬間も、安い服、安い牛肉をつくるために、犠牲になっている人が途上国には大勢います。
その現実を知ったらどうでしょう? お金もうけをして、たくさんのモノに囲まれて暮らすことを幸せと思えるのか。それが本当の豊かさなのか。地球を住めない環境にしてまで、お金もうけが最優先される社会、つまり資本主義の社会を続けていくことが合理的なのか。そこを考えないといけないですよね。とくに、生きている間に環境危機の大きな被害を受ける若い人たちとは、一緒に考えてアクションを起こしていきたいです。
ただ、「ファストファッションを着ていたら、環境問題について議論する資格がない」っていうことではないのです。長時間働いているのに賃金が安いから、環境に悪いとわかっていてもファストファッションしか着られない、ファストフードしか食べられないということは当然あります。むしろ、資本主義のもとではそうなってしまう。だから、牛丼を食べていても環境のために一緒に声を上げて、危機を解決しよう、安い賃金もなんとかしようと一緒にアクションを起こしていくのが大事なのです。
「声を上げて変えていくのは大事なこと」
――とはいっても、日本の若者は、自分から意見を言ったり、アクションを起こしたりしない人が多いと言われています。このことについてはどう思いますか?
環境運動が日本で弱いのは、大人たちの責任です。ちゃんとアクションを起こしていない大人たちばかりなので、積極的に声を上げて、市民運動で社会を変えていくというイメージを若者たちが描きにくいだけでしょう。日本のメディアもまだまだ気候変動を取り上げる機会が少ないですよね。海外だったら、『Teen Vogue』がマルクス特集を組んだり、Z世代の価値観を広げたりしています。そういうページは、日本の若者向けの雑誌にはまだまだ少ない。
価値観をアップデートできていない大人たちに比べれば、むしろ日本の若い人たちの動きは、最近活発です。この4月には、モデルの小野りりあんさんや「デプト」をやっているeriさんが中心になって、「日本の温室効果ガスの削減目標を62%にしろ」と訴えるハンガーストライキを行いました。そこに水原希子さん、コムアイさん、二階堂ふみさんなども加わって、その活動のライブ配信をやったりして、身近なファッションの問題などに絡めて発信するようになってきています。これまでの暗いイメージの社会運動とは違う、明るいアクションが始まっているのです。
年間につくられる洋服の数を、半分にしよう
――とはいえ、成長を止めよう、消費を止めようと言われると負担も感じます。江戸時代に戻れと言われているような気がするというか…。
そんな極端な我慢はいらないんですよ。例えば、洋服は2000年以降の15年ほどの間で年間の生産量が2倍になりました。つまり今の洋服の数を半分にしたって15年前のレベルに戻るだけですよ。15年前に、ボロボロの服をみんなが着ていたわけじゃない。15年前だって十分すぎるほどに服はあったわけです。
――たしかにそうですね。
もちろん最終的には今の5分の1にしなくてはいけないかもしれません。しかし、今みたいに速いペースで服を買わされるから、そのお金を稼ぐためにやたらと働くことになるわけです。そして、せっかく気に入って買った服がすぐに古びて見えて、また別のコラボ商品が欲しくなってしまう。これは消費者にも、売り手にも、つくり手にも不幸なシステムです。むしろ大切な服をケアしたり、リメイクしたりしたほうが、ファッションを楽しみながら自分たちの手で別の新しいかっこよさをつくることができる。そのほうが、みんながもっとハッピーになれますよね。
――価値観を変えていくことが豊かな社会につながっていくということですよね。
はい。脱成長と聞くとどうしても我慢や質素という印象がつきまといますが、スローダウンすることでこそ見えてくる豊かさや楽しさやかっこよさがたくさんあります。
例えば、「服のたね」というプロジェクトでは、参加者が自宅で綿花を栽培して、洋服やスニーカーをつくるという1年がかりの共同作業を行っています。身近な服がどうつくられているかを学び、デザインなどもみんなで決めていく。当然、綿花がうまく育たないことなどもあるけれど、時間をかけた共同作業によって、忘れていたモノづくりの困難さや技能を学ぶことができ、綿花を生産する人々との連帯感が深まり、洋服の使い捨ても減っていく。
こうしたプロジェクトに参加してみることで、単なる消費者ではなく、当事者として意見を言い、より持続可能なファッション業界をつくるためにアクションを起こす人が増えてくる。そういうある種のカルチャーとしてのムーブメントが生まれ、広がりつつあります。
若い人たちが「どうせ世の中変わらないんだから」という気持ちになるのも理解できます。でも、実は世の中の3.5%の人々が動きだすと社会が変わるという研究があるのです。そういう動きをみんなで起こせば、大量消費・大量廃棄の資本主義が引き起こしている「人新世」の危機を乗り越えていけるのではないかと思っています。
『人新世の「資本論」』
斎藤幸平[著]
¥1,122/集英社新書
かつてない環境危機を迎えている現代。気候変動を放置すれば、この社会は壊滅状態に陥るが、それを阻止するには今の資本主義の仕組みを変えなくてはならない。でも、資本主義を捨てた文明に繁栄などあるのか? 世界的に注目を浴びる著者が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描き出した画期的な警世の書。「新書大賞2021」受賞作!
Photos:Kazuhiro Igarashi Composition & Text:Masayuki Sawada
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