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「ヨークは何かをつなげるブランドであり続けたい」 寺田典夫さん [ヨーク デザイナー] ロングインタビュー

「ヨークは何かをつなげるブランドであり続けたい」 寺田典夫さん [ヨーク デザイナー] ロングインタビュー

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服好きに支持されるブランドのデザイナーにフォーカス。彼らはどのようにしてデザイナーになったのか? コレクションを通して伝えたいことは何か? これから、どんなクリエイションをしていくのか? デザイナーの過去、現在、未来のストーリーをロングインタビュー。

第7回はベーシックをベースに独特の色彩や凝った素材、こだわりのパターンで魅せるヨーク。初めてのランウェイショーやパリでの展示会を体験してわかった、ヨークが「やるべきこと」とは?

寺田典夫

1983年、千葉県生まれ。美術大学を中退して、文化服装学院デザイン専攻科に進学。卒業後はドメスティックブランドで生産や企画を経験し、2016年に独立。フリーのデザイナーとして活動するかたわら、2018年秋冬シーズンにヨークをスタート。「TOKYO FASHION AWARD 2022」を受賞し、2022年秋冬は東京ファッションウィークでショーを開催。

美大を中退して3年遅れで
文化服装学院に進学

――寺田さんはいったん美大に進まれて、その後文化服装学院に入り直したのはどうしてですか?

昔から絵を描くのが好きだったので、将来はデザインを仕事にしたいなと思って、高校3年生のときに予備校に通って美術系の大学に入りました。大学ではグラフィックデザインとファッションデザインを学んでいたんですが、担任の先生が文化出身の方で。「ファッションをやりたいなら、文化へ行ったほうがいいんじゃない?」とアドバイスしてくださって。

――大学に入ってファッションデザイナーになりたいという気持ちが強くなったということですね。ファッションとの出会いはいつ頃ですか?

高校時代は野球部に所属していて、野球ばかりやっていました。ファッションのファの字もない生活でしたが、あるとき友だちが柏の古着屋に連れていってくれて。僕が高校生の頃は古着が熱かった時代で、雑誌でいえば『BOON』(1986年創刊、祥伝社から発行。2008年に休刊)。千葉で古着からはじまりました。


――90年代の『BOON』の古着特集はすさまじかったですからね。文化に入られてからはどんな学生生活を?

大学を2年で中退した後、1年間働いてお金を貯めてから文化に行ったので、3年遅れました。同級生はほぼ3歳下。年上ということもあり、真面目に課題をこなしていましたね。賞は取っていませんが、課題の展示にはよく選ばれていました。

――当時はどんなデザイナーになりたいと思っていました?

エディ・スリマンがデザインするディオール オムのようにロック、テーラードを主軸とした細身のブランドが流行っていて、その流れを汲んだドメスティックブランドのデザイナーさんを身近に感じていたので、今のヨークとは全然違いますが、そういう雰囲気のブランドができたらいいいな…と思っていました。

文化服装学院時代の寺田さん(右端)。UネックのTシャツに自作のジレをコーディネート。

   

OEM会社に入って
地道に服づくりを学ぶ

――ドメスティックブランドのデザイナー・アシスタントを経て、デザイナーになることを夢見ていたんですね。

はい。でも学校を卒業して、そのままデザイナーのアシスタントになれる人は、同級生にもいませんでした。「少しずつそういう段階に近づいていければいい」という考え方に変わって、まずはOEM会社(Original Equipment Manufacturingの略称で、他社ブランドの製品を製造する企業)に入って、企画するところから生産までを学びました。セレクトショップからギャルブランドまで、幅広く手がけている会社だったので、たまにレディースの仕事もしたり。

――その後、ドメスティックブランドとのことですが…。

OEMの仕事を通して、イッセイミヤケ出身で、自身でもブランドをやりながら、海外ブランドの生産をやっていらっしゃる方と出会いまして。ブランドの運営や流れを学びたくて転職させいていただきました。

美大出身というだけありイラストもこのクオリティ。今は趣味的にiPadで絵を描いている。

――ヨークを立ち上げるまで、そこでアシスタントをされたのですか?

1年半くらいそこで働いて、もっと服づくりに特化したドメスティックブランドで働きたいと思って、もう一度転職しました。そのドメスティックブランドでは、企画から販売まで、全部経験させてもらいました。5年お世話になって独立して、フリーランスのデザイナーになった後もお仕事をさせていただいたので、トータル7年くらい携わりましたね。

――フリーのデザイナーというのは具体的にどんな仕事をするのでしょう?

僕はセレクトショップやOEM会社のオリジナルアパレルの企画を中心に、アウトドアブランドの企画もしたことがあります。あとは友だちのブランドの生産管理をやったり。グラフィックの仕事を受けることもあり、幅広く仕事をしていました。


    

ニットでつくりあげた
ファーストコレクション

――どういうタイミングでブランドを立ち上げたのですか?

フリーになって2年目くらいで、デザイナーの仕事だけで生活できるようになって。当時、友だちのブランドの生産を手伝っているときに、友だちがすごく楽しそうに服をつくっているのを見て「自分がやりたかったのはこれだよね」と改めて感じました。ちょうど資金もまとまってきたので、今なら始められると。

――立ち上げは2018年の秋冬コレクション。ということは、2018年の春に展示会を開催というスケジュールになりますが…。

ギリギリのタイミングだったので通常だと3月くらいですが、5月の頭に開催しました。当時はニットが好きだったので、ファーストコレクションは編地で構成しました。型数も10型ほどで。

ヨークの人気アイテムとなったコートもニットで製作。イメージビジュアルでは女性モデルが同じコートを着たルックも紹介している。

ヨークの人気アイテムとなったコートもニットで製作。イメージビジュアルでは女性モデルが同じコートを着たルックも紹介している。

ヨークの人気アイテムとなったコートもニットで製作。イメージビジュアルでは女性モデルが同じコートを着たルックも紹介している。

ヨークの人気アイテムとなったコートもニットで製作。イメージビジュアルでは女性モデルが同じコートを着たルックも紹介している。

――ヨークというブランド名はどうやって決めたんですか?

洋服づくりは生地屋さん、工場さん、付属品屋さんなど、本当にいろんな方々が関わって完成します。服をつくるって、実はすごく大変なことで「ひとりじゃ何もできない」と仕事をする中で感じていました。そういうことを表現できる洋服の用語をブランド名にしたいと思い、調べていたらYOKEが出てきて。“洋服の切り替え布”のほかに“繋ぐ”や“絆”という意味があったんです。服をつくるところからお客様までをつなぐことが自分の仕事だと思っていたので、ぴったりだなと思ってブランド名にしました。

――いいブランド名ですね。スタートしてからは、コロナ禍にもあまり影響を受けず、トレンチコートなどシーズンの頭に完売してしまうアイテムも多いと伺っています。

ありがたいことです。最初の展示会では60軒くらいに案内状を送りましたが、来てくれたのは2店舗でした。どうなるかと思っていたら、友人でもある浅川(喜一朗/シュタイン デザイナー)さんのcarolや高円寺のmargin、代々木上原のJOHN、中目黒のso nakameguroといった一目置かれるセレクトショップが扱ってくれたので、セカンドシーズンにはかなりの問い合わせをいただきました。

織りネームの下のサイズ表記にはアイテムのシリアルナンバーも入っている。

織りネームの下のサイズ表記にはアイテムのシリアルナンバーも入っている。

ニットからスタートして、コレクションの構成はどのように変化していきましたか?

ファーストシーズンに友人がカップルや夫婦で来場して「あなたも着られる」と一着の服を男女で着てくれるのを見て、セカンドシーズンは「シェア」をテーマにしました。3シーズンめ(2019年秋冬)から、アーティストをテーマにするようになって、ニットだけでなくトータルな展開にしました。


   

「つながり」を形にした
ハイブリッドなショー

――今シーズンはFASHION AWARD 2022を受賞されました。受賞すれば東京ファッションウィーク中にランウェイショーができて、パリの展示会に行くチャンスももらえます。応募のきっかけは、なんだったのでしょう?

コロナ禍でいろんなことが制限される中、ヨークの勢いのようなものが、落ち着いてしまうことに少し不安を覚えたんです。それでブランドが認められる賞を取ることは、卸先さんにとってもプラスになるし、ブランドにとっても糧になると思いました。海外に進出したい、ショーをやりたい、国内での認知度をあげたいという3本がちょうど「今だ」というタイミングだったので、応募しました。

――今年3月の東京ファッションウィークでは、トップバッターでランウェイショーを披露されました。美術館のような空間づくりも含めて、とても新鮮に拝見しました。

この先ずっと、ランウェイショーを続けるつもりはなかったので、「この1回をしっかり記憶に残したい。覚えていてほしい」という思いがありました。だからウォーキングだけではものたりない気がして…。ヨークはずっとアートをテーマにコレクションを組み立てているので、美術館のような設定にして、モデルが自然に歩きながら見ているような、インスタレーションとショーをミックスした演出になったんですよね。

――すごく素敵なショーでした。終わった後に、作品を見ることもできて。そういう時間も楽しめました。

ヨークの服もそうですが、少しひねったところに「ヨークらしさ」があると思っているので、ショーでもそれが表現できたと思っています。ランウェイに展示した作品もヨークと関わりのある作家や写真家のものでしたので、つながりがまさにランウェイとして形になったという感じがしました。


   

アーティストの色彩や
作風からデザインを着想

――改めて2022年秋冬のテーマについて教えてください。

アメリカの抽象表現主義のアーティストをテーマにしました。第二次世界大戦後に、カラーフィールド・ペインティングと呼ばれる絵画のスタイルを築いた作家です。

――ランウェイにも作品が飾られていましたね。引き裂かれたような白黒の柄のベストやコートが印象的でした。

いつもアーティストの作風や色彩を意識しながらつくることが多いです。今回も抽象画家が描く不規則な線の動き、幾何学的でない模様、人工的な黄色やオレンジなどを洋服に落とし込みました。イメージビジュアルも、背景や照明に黄色、オレンジを使って、黄色い背景にさらに黄色のライトをかぶせたり…。

――毛足の長いニットでは抽象画の色彩やモチーフを、ジャカードで表現していましたね。

ニットはだいぶイメージ通りに仕上がりました。引き裂かれたような色彩表現が今回テーマにした作家の特徴でもあるので、下から色が出てくるディテールやレイヤードの着こなしにも取り入れました。

――ムード(イメージ)ボードもきちんとつくっていらっしゃるんですね! 色見本がたくさん…。

ヨークの服は色が特徴でもあり、とても重要です。生地屋さんに伝えるときにもパントーン色見本を使って、コンセンサスが取れるように、具体的に説明できるようにしています。

――ヨークにも独特な“ヨークの色”というのがありますよね。

服そのものはベーシックがベースで、そこにデザイン性を少し足すのがヨークの手法なので、それよりも印象に残る色が「ヨークっぽい色」として認識されるようになっているのだと思います。色には力を入れているので、それはとてもうれしいことです。


――生地はほぼオリジナルですか?

今はオリジナルテキスタイルが6~7割ほどです。あとは既成の生地でも加工したり、注染(伝統的な型染めの技法)で柄を加えたり、職人さんのひと手間が入ったもの、クラフト感を大切にしています。方向性としてはひとつずつ、全部違うようにしたいと思っています。

――ヨークはスタートからユニセックスな立ち位置ですね。

シーズンに1~2型、レディースだけのアイテムがありますが、基本的にはメンズサイズで展開しています。ただ、女性が着ても「シルエットがいいね」と言ってもらえるものをつくるように、意識しています。

――向かって左のムードボードは2023年春夏のものですか?

左のムードボードは、今取り組んでいる2023年秋冬のものですね。2023年春夏は展示会もすでに終わっていますが、ベン・ニコルソンというイギリスの抽象絵画を牽引したアーティストをピックアップしています。画集も今手もとにあります。今季と同じようにイメージとして作品の色みを、生地やニットに落とし込んでいます。

コレクションのテーマになるアーティストの画集は複数冊集める。こちらはベン・ニコルソンの画集。

――生産は基本的に国内でされていますよね?

やっぱり、できるだけ日本の人に関わって欲しいと思っています。1型100枚という数を目標にしているんですが、これが生地屋さんや工場など、みんなが無理なく、気持ちよく仕事ができる数なんですよね。ヨークの服づくりに関わっていただいている方たちにもプラスになるように、意識しながらものづくりするようにしています。

ヨーク ルックブック

2023年春夏シーズンのビジュアルブックより。

2023年春夏シーズンのビジュアルブックより。

常に進化して独創的な
ものづくりをしていく

――最近ではインフルエンサーの方々がECプラットフォームのバックアップなどを受けて、気軽に洋服をつくったり、ブランドを運営しています。こういう動きが、ヨークのものづくりに影響することはありますか?

インフルエンサーのブランドは急増していて、年々クオリティも上がってきています。「シンプルで上質なもの」をインフルエンサーの名前でつくる、このビジネスの隆盛を見て、自分たちがつくるべきもの、やるべきことがあぶり出されたと僕は感じています。彼らではつくれないオリジナリティのあるものを、つくっていかなければなりません。

――パリでの展示会を体験して、思うところもあったと伺っています。

パリでも「上質なベーシックやオーセンティックな服」だけでは通用しない、ということを学びました。国内の市場だけを見ていたら、広がっていかないなと。常に進化して、停滞せずに、変わっていかねばと、高い意識を持つようになりました。


――2022年は新しい体験をいろいろされたと思います。これからトライしたいこと、やってみたいことはありますか?

ここ、ヨークギャラリーでアポイント制の期間限定ショップをやりたかったんですが、今年は叶わなかったんで、来年、いいタイミングでできればと思っています。僕が接客をして、ヨークの世界観を伝えるとともに、コミュニティもつなげて。それをきっかけに、将来的には旗艦店も考えていきたいと思っています。

――寺田さんは多目的に使える空間として、このヨーク ギャラリーもお持ちです。ファッション雑誌の撮影や展示会にも広く使われていますね。

自由な使い方ができる空間があったらいいなと思ってつくりました。これも「人とつながる」ための共有スペースとして、続けていきたいです。

寺田さんの美意識が凝縮されたヨーク ギャラリーのコーナー。

寺田さんの美意識が凝縮されたヨーク ギャラリーのコーナー。

寺田さんの美意識が凝縮されたヨーク ギャラリーのコーナー。

――ヨーク ギャラリーにはシャルロット・ペリアンなど、モダンなデザイナー家具が並んでいますね。

家具は本当に好きで、時間があれば家具屋さんに出かけたり、ネットで海外の家具サイトなどを見ています。美意識で共感するところもあるジルサンダーのルーシー&ルーク・メイヤー夫妻が「美しい空間でしか、美しいものはつくれない」というようなことを語っていたので、自分が作業する空間も好きな家具でまとめたいですね。時代が異なるものが共存したときの違和感、バランス…そんなことを考えながら、空間づくりをするのが楽しい。

――最後に、寺田さんにとってファッションとは何でしょう?

人と人をつないでいくものだと思います。似た趣味の人がつながって、コミュニティになっていく。ヨークもファッションと人だけでなく、いろんなモノやコトをつなげていく、そんな存在です。結局「つなぐ」という言葉に集約されると、今回のインタビューを通して気づきました。


BRAND PROFILE

YOKE(ヨーク) 2018年秋冬にスタート。carol、1LDK apartments.といったセレクトショップを中心に、国内外で展開。別注やコラボレーションも増えており、多様なヨークが楽しめる。2023年春夏のデリバリーは12月からスタートしているので、ぜひ店頭でチェックしてほしい。

HP / インスタグラム

Photos:Kenta Watanabe(portrait&report) Composition & Text:Hisami Kotakemori


小竹森久美

小竹森久美

エディター

「僕らの永久定番ファイル」や「コレクション速報」などファッションテーマを幅広く執筆。

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最終更新日 :

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