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服好きに支持されるブランドのデザイナーにフォーカス。彼らはどのようにしてデザイナーになったのか? コレクションを通して伝えたいことは何か? これから、どんなクリエイションをしていくのか? デザイナーの過去、現在、未来のストーリーをロングインタビュー。
第1回はアントワープ王立アカデミー出身。TOKYO FASHION AWARD 2020を受賞して、この春夏はロンドンで映像形式の発表を行ったユウキハシモトのデザイナー、橋本祐樹さん。意外にも大学に入るまで、マルタン・マルジェラを知らなかったとか!?
橋本祐樹(はしもと・ゆうき)
1987年、滋賀県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、2010年にアントワープ王立アカデミーに進学。学士課程を終了後、有名メゾンにてデザイナーのアシスタントを経験。その後、修士課程を完了して、2017年に帰国。2018年に自身のブランド、ユウキハシモトを立ち上げ、2019年春夏コレクションでデビュー。TOKYO FASHION AWARD 2020を受賞。
中学時代に読んだ
メンズノンノの影響
――ファッションに興味を持ったのはいつ頃ですか?
両親が地元の滋賀県で、婦人ものの洋品店を営んでいました。祖母も呉服店をやっていたりして、服が身近にあったんです。僕が小学校高学年くらいから洋服に興味を持ち始めたので、中学生になると母親がメンズノンノを買ってくれました。2000年代の初めくらいですね。Dragon Ashの降谷建志さん、窪塚洋介さん、木村拓哉さんなどの表紙を今でも覚えています。
――トレンドとしては裏原宿とラフ・シモンズなど海外デザイナーの勢いがあった時代ですね。
ラフ・シモンズも誌面には登場していたのかもしれませんが、大学で勉強するまで知らなかったので(笑)。両親はコム デ ギャルソンやヨウジヤマモトが好きだったから、父親のクローゼットから拝借はしていたんですが、当時はキムタクがCMをやっていたリーバイスのほうがいいものだと思っていました(笑)。
――ファッションが身近にあったんですね。
今考えると腰パンのようなヤンチャなファッションが全盛の時代に、メンズノンノを読んで育った影響は大きかったと思います。その後もストリートや古着にはどっぷりつからず、ある種気品のある服がずっと好きでした。だから退廃的なテーマを立てたとしても、きれいめで、インテリジェンスを感じるデザインに、自然としてしまうのかもしれません。
――なるほど。その後、美大に進学しましたが、その頃にはデザイナーになろうと思っていましたか?
当時は、まだなかったですね。単純に興味があったから服飾系の専門学校へ行こうと思ってリサーチしていたら、両親から「大学はどう?」と提案されたので、いろいろ調べて京都造形芸術大学に進学しました。ただ、洋服の勉強をするつもりで入ったら芸術系の授業も多くて…。デザインのプロセスや建築の歴史など、いろいろなことを勉強できたとは思います。
――コレクションのテーマが芸術に関連するのは、そのあたりに由来しているんですね。アントワープに行かれたのはどうしてですか?
大学のファッションヒストリーの教授がアントワープ大好きで。そこで僕はラフ・シモンズやマルタン・マルジェラを初めて知るんですが、彼らを輩出したアントワープ王立アカデミーという学校があると先生から聞いたので、じゃあ行ってみようかなと。
がむしゃらに突き進んだ
アントワープ時代
――入学するためにはポートフォリオをつくったり、試験も難しいと聞いていますが…。
どうやってクリアしたのか、まったくわからないです(笑)。行った頃は僕、英語もしゃべれなかったし。とにかくまず現地に行って、知人にアントワープを卒業したフランス人を紹介してもらって、手伝いをしながら試験の準備をして…。試験を受ける頃には、生活できるぐらいに話せるようにはなっていましたが、入学して最初の1年間は先生が何を言っているのか全然わかりませんでした(笑)。
――え⁉︎ それでついていけたんですか?
卒業もしているので、どうにかなりましたね(笑)。学校の先生方は2~3か国語話せましたし、講義よりも課題が与えられて個別に指導を受けるような授業が多かったので、生徒の言語に応じて英語、フランス語と使い分けてくれました。それで各自が作品を見せて怒られるという光景が繰り返される(笑)。
――アントワープではほかにどんなことをしましたか?
課題に追われながらも、友人と夜な夜なクラブやライブに出かけ、ほどよく息抜きしていました。観葉植物にハマって集めるようになったり…。美術館やアートギャラリーにはよく行きました。有名無名を問わず、自分の発想や概念を変えてくれるような作品に出会うのが楽しみで。「この人はなんでこの作品をつくったんだろう?」と、考えながら見るのが好きです。
気に入ったアート作品をスクラップのように撮りためていた。
――当時の部屋にはスケートボードが飾ってありますが、そういうカルチャーが好きになったとか?
僕が3年生の頃に “VIER(ヴィーア)” や“LOCKWOOD(ロックウッド)”といったストリートスタイルのセレクトショップができて、当時のホットプレイスでした。ストリート好きではなかったのですが、ハイブランド一色だったアントワープに新しいカルチャーが湧き出て、刺激を受けました。学校から歩いてすぐだったので、休み時間に通ってスケボーも特訓しましたが上達せず…(苦)。このスケートボードはいい思い出として、今もオフィスに飾っています。
――アカデミーの学士と修士課程を続けてとらず、いったん働きに出たのはどうして?
アントワープに行ったときには、もう自分でブランドをやりたいと思っていました。いつ、どういう条件で始めるといった具体的なアイデアはなかったけれど、デザイナーになりたいという気持ちは芽生えていたので、学士課程の3年間を終えたところでいろんなブランドの現場を見てみようと。
時間は自分のために
使うべきだと悟る
――ラフ・シモンズを筆頭に名だたるブランドでアシスタントを経験していますが、誰でもできるわけじゃないですよね?
公募などは出ていないので、基本的には自分からオファーして、タイミングが合えば雇ってもらえるという形式です。誰かに紹介されてアシスタントになることもありますが、僕はすべて自薦。マルジェラにオファーしたときは返事がまったくこなくて。パリの店に行ったとき、店員さんと話していたら、送るべきメールアドレスが間違っていたことが発覚して(笑)。改めて送ったら採用されました。
――そのままどこかのメゾンでデザイナーになることもできたのでは?
修士課程まで行かなくても、デザイナーとして働けるならそれもいいかと思って学校を離れたんですが、アシスタントとして働いていたら、ずっとこのままじゃないかと、3年くらいたったときに思って。当時すでに28歳くらいになっていたので、このまま行ったら自分でブランドを始めるのは40歳くらいになってしまうかもしれない。起業するためにはある程度勢いも必要だから、今を逃しちゃいけないと。
――確かに「勢い」は必要ですよね。
ラフ・シモンズ、クリス・ヴァン・アッシュ、メゾン マルジェラではジョン・ガリアーノと、世界的に有名なデザイナーにお世話になって、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。そこで感じたことは、自分のために一生を使おうということ。自分の時間は自分のために使いたいと。それでアントワープで最終学年の修士課程を終わらせて、自分のブランドを始めようと決心しました。
――その後、日本に戻ってブランドを立ち上げたんですね。
ヨーロッパでブランドを立ち上げるのは無駄に不利な条件が多いんです。いろいろな状況を鑑みて、自分は日本人だし、日本で始めるのがいいかなと思っていたら、卒業コレクションがきっかけで中国のバッグメーカー北山銅版画室(KITAYAMA STUDIO)から仕事のオファーを受けました。中国の工場に行く用事もできたので、そのタイミングで日本に帰ろうと。
国籍にとらわれない
ブランドを目指す
――ブランドを立ち上げるときに、どんなことをイメージしましたか?
いい意味で「どこのブランド」かわからないような、グローバルなブランドにしたいと思いました。日本のブランドではありますが、海外で勉強した背景もあるので、メンタル的にはどこを拠点にしてもやっていけるような、国籍にとらわれないイメージです。
――デザインをする上で、意識していることはありますか?
アントワープで学んだことで、自分の中に「ものさし」ができました。英語で「MAKE SENSE(理に叶う)」という言葉があるんですが、たとえば自分がデザインしたものがテーマに対してMAKE SENSEしているか? MAKE SENSEの対象はケースバイケースですが、自分の中にボーダーラインがあって、それをクリアするようにはしています。
――テーマはどのように決めていますか?
毎回、新しいことにチャレンジしたいと思っています。世の中の流れによって興味のあることも変わってきますよね。前のシーズンはSTAY HOMEや引っ越しをしたタイミングが重なって、家具や家の中に関連するものになったんですが、今回は新しいライフスタイルをポジティブにとらえ、外へ出ようと前向きになれるような力強いコレクションにしたかった。それでリサーチをして決めました。
50’sスタイルを
2000年代的に創作
――具体的な2022年春夏シーズンのテーマは?
「ARTIFICIAL LAND(人工の土地)」という造語ですが、1950年代に建築家のル・コルビジェが手がけたインドの都市チャンディーガルの都市計画と、『ミステリー・トレイン』という映画をモチーフにしました。
――コレクションのムービーの瓦礫は都市計画を表現していたんですね。『ミステリー・トレイン』はジム・ジャームッシュ監督のエルヴィス・プレスリーにまつわるオムニバス映画。1989年の公開当時、永瀬正敏さんと工藤夕貴さんが出演したことでも話題になりました。
そうです。ひとつの街の中でハプニングが起こるストーリーが今回のテーマにしっくりきたのと、ブランドを妻と始めたときに、アントワープ時代の友人が「お前たち、『ミステリー・トレイン』のふたりみたいだな」と絵を描いて贈ってくれたことを思い出して。
――言われれば当時の永瀬さん、橋本さんに似ています! 奥様もアントワープ出身なんですね。それでライダースや50’sスタイルのジャケットが登場するコレクションに。
主人公のミツコがプレスリーに憧れてライダースを着ていたこともあって、ライダースをレザーやコットンなどいろいろな素材でつくりました。それからフレアパンツにも、ライダースの襟のようなディテールを入れたりしています。
――思い入れのあるルックはありますか?
荷物を減らせと言われて、彼女がTシャツをどんどん重ね着するシーンがあるんですが、それをヒントにしたルックが穴のあいたTシャツと無地Tのレイヤード。これはクラック柄やロゴのグラフィックをブリーチ(脱色)で入れています。都市の工事現場のイメージから、アクセサリーにはボルトを使ったり…。
――この柄はプリントじゃないんですか⁉︎ 凝ってますね。
今回は2000年代も自分の中ではテーマになっていて、50’sスタイルの服を2000年代的につくりたかった。2000年代はまだスマホでなくガラケーで、デジタルとアナログの中間的なイメージがあります。質感でいうとコンクリートも、僕的には2000年代の匂いがするんですよね。
――クラックパターンはコンクリートからきている?
はい。このスニーカーのソールも割れたコンクリートをモチーフにしています。アメリカの映画がテーマなので、アッパーはキャンバスに。
――L.Aのシューズブランド、アーティクルナンバーとのコラボレーションですよね。
ブランド初のシューズです。ヒールパッチやインソールのグラフィックまで、きっちりやらせてもらいました。子どもの頃に母が兄弟でおそろいのコンバースを履かせてくれたりしてなじみがあったのと、ユウキハシモトの洋服に合うようなエッジーなキャンバススニーカーをつくりたかった。それでローカットの黒をつくり、もう一足はわかりやすいキャンバススニーカーにしたかったので、ハイカットの白にしました。
エッジーで歴史を感じる
ものづくりを
――スタイリストの中には「ユウキハシモトと言えばジャケット」みたいに熱く語る人もいます。エッジのきいたメゾンが、素晴らしいテーラードジャケットを必ずつくるように、ジャケットに思い入れはあったりしますか?
ブランドとしては遊んだピースだけでなく、自分より上の世代にも響くようなピースが必要だと思っています。また生活の中にはカジュアルだけでなくフォーマルなシチュエーションがあり、ジャケットがマストになってきます。そんなとき、自分が着たいと思うのはクラシックなテーラーがつくるものではなく、ファッションブランドがつくるテーラードジャケットです。だからユウキハシモトでは、ハ刺し(ジャケットの襟裏の表地と芯地を縫い合わせること)を手仕事でやってもらったり、テーラードの技術を使った本格的仕様で、モダンなジャケットを提案しています。
――デザインだけでなく、つくるプロセスにもこだわっていると。
デザインは飛んでいても、服の構造がしっかりとしていて、見れば伝統や歴史も感じられる服づくりがしたいんです。洋服は着るだけでなく、語れる要素もいっぱいあったほうがいいと思うので。
――経歴だけを見ると、すごく順風満帆なように見えますが…。
学生時代も今もうまくいかないことは多いです。ビジネス的な部分でも、思い通りかというとそんなこともありません。その都度、解決策を見つけて進んでいく方法を、メゾンでのアシスタントの経験などを通して学びました。ただアシスタント時代はショーが終わったら終わりでしたが、今はすぐ次のことを考えなければいけない。立場の変化はあります。
――デザインを通して伝えたいことは何ですか?
自分はアーティストではないんですが、若い世代にとって僕の服が、考え方の刺激になったり、何かをスイッチできる素材になったらうれしいです。
BRAND PROFILE
YUKI HASHIMOTO(ユウキハシモト) ブランド立ち上げから7シーズンめとなり、充実したラインナップで展開される2022年春夏コレクション。芸術性の高いデザインで、海外からの注目度も上がっている。アートピースのようなアイテムを、ぜひ実際に手に取って見て欲しい。
HP:yuki-hashimoto.com
インスタグラム:@_yuki_hashimoto_
Photos:Kenta Watanabe(portrait&report) Composition & Text:Hisami Kotakemori
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